見出し画像

記事紹介「反出生主義はやさしさの塊」

 8/27に公開された記事であるが、この記事を書いている時点で既に230以上のスキを集めている。フォロワーも8000人以上いる人が書くと反出生主義の記事でも(もちろん記事のクオリティによるところが大きいだろうが)これだけスキを集められるのだなと思った。公開当初は無料で全文読めたと思うが、今は有料記事になっている。とはいえ100円なので、興味のある方は読んでいただきたい。

 記事自体は穏当だがよくまとまっているなあと思った(ライターの人にこんな口きいてごめんなさい)。筆者は反出生主義を支持すると記事中で公言しているわけではないが、客観的な視点から反出生主義についていくつかの視点から考察されている。特に反出生主義が「産むべき」という出生礼賛の風潮へのカウンターとして作用することで、子供がそうほしくもないのに子供をつくる親やその子供の不幸が回避できるというのは、今反出生主義がもたらすメリット(少子化等はさておきミクロな範囲での)だなあと思った。

 反出生主義がこの社会へのカウンターになるというのは可能性としてあると思っている。先述の出生礼賛の風潮へというのもそうだし、あるいは他の社会問題に関してもそうであろう。いつまでも問題が解決できない、よくなる見込みもないならそんな社会に子供を連れてこられませんよという思想は、やさしく賢く、そしてお金に余裕があるわけではない若者にフィットするかもしれない。

 少子化社会というのは囚人のジレンマ的な側面がある。すなわち、みんなで子供をたくさんつくれば少子化社会は解決するが、自分だけ子供をつくるが少子化は改善しないとなれば、子供をつくらないよりも負担だけが増えることになる。そして、勝手に少子高齢化社会に連れてこられて重い負担を背負わせられる子供も不憫であろう。今の社会では、自分の子供に「やさしさ」を発揮すると、そもそも産まないことが最適解になりうる。

 社会主義・共産主義の試みは失敗した。しかしそれらによって資本主義社会の労働者は恩恵を受けた。自国の労働者たちが共産主義になびくことを恐れた政府や資本家たちは、労働者の生活を改善せざるをえなかったからである。冷戦終結後、勝利した資本主義陣営は対抗馬不在の中でその「純度」を高め、結果として格差は拡大している。

 人間を大事にしないなら人口の再生産はしないよ、という反出生主義的な思想の普及は、反出生主義の実現にはつながらなくても、大衆の生活を改善するかもしれない。ただしこれは人口の再生産には国民にたよるしかないという前提の話であり、移民であったり、あるいは人工子宮のような人間生産テクノロジーの発達などの「迂回路」が開ければ成り立たない話ではあるのだが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?