均衡

 世の中は均衡なのではないかと最近思うようになった。詳しく言うと、今の状態というのは均衡の結果であり、歪みのように見えるものでも、それはそこが歪むことで全体のバランスをとっているのではないかと。非合理や理不尽にもそこに落ち着かざるをえない理由、経緯があるのではないかと。

 もちろん我々は世の中の物事を変化させられるが、何らかの変化を起こした後は世の中はそれに合わせて均衡をとろうとする。飛び出たところを切り落とす、引っ込んだところに埋め合わせをする、綺麗になりましたね、おしまい、とはならないように思う。どこかを押せばどこかが飛び出す、どこかを引っ張ればどこかが引っ込む。

 まあ、何が言いたいかと言うと、みんなで幸せになるのはとても難しいことなのではないかということである。簡単に言えばAさんの境遇の改善はBさんの負担の増加につながる、もっともこれは個人だけの話ではなく、職業、属性、世代、地域などなど。

 もちろん世間の多くの人に一気に利益をもたらすような変化もあるだろう。歴史を見れば、普通の人々の暮らしは100年前、200年前と比べれば格段に豊かになっている。しかしそれは我々全員が幸福に暮らせるようになったことを意味するわけではない。文明の発展により得られた利益も多かったが、それに伴い発生した問題も多くある。均衡である。

 だから、ある何らかの変化により社会の劇的な改善を期待するような声には、あまり同調できない。これからも社会は変わり続けるだろうが、その変化の先に、少なくとも自分が労働をしているうちに、一般市民の生活が素晴らしいものになるとは思えない。変化によってよいことももたらされるだろうが、新たな問題にも対処せざるをえなくなるだろう。富や利益の偏在が解消されるとも思えないし、労働の負担が大幅に減少するかも疑わしい。

 この均衡から解放されるのは、理想としては全人類の分断すなわち各パーソナル世界化において、一方でもっと確実かつ至近のところでは人生の終わりにおいてであろう。最もよいのは、初めからこの世界に巻き込まれないことである。

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