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楽しかったけど

 今までの人生で楽しかったことは?と聞かれて答えることは自分で挙げるのだからきっと楽しかったんだろう。では「○○」は楽しかった?と聞かれて、つまり判断を迫られて「(どちらかと言えば)楽しかった」と答える類のことは?

 もちろん楽しさだけが価値ではないのだが、○○は楽しくなかったと答えることはそこに費やした自分の時間に意味がなかったと認めることに近い気がする。○○が期間の長いもの、例えば学校生活とか仕事とか、であればなおさらである。

 つまり、最初のような問いの場合、明らかに楽しくなかったものなら「楽しくなかった」で済むのだが、微妙なものの場合、「楽しかった」としておいたほうが精神上いいし、それゆえ曖昧な領域は「楽しかった」に含まれがちである。私は別にそれを批判する気はない。本人がそう思うならそれでいい。

 質問が「もう一度やりたい?」なら答えも変わってくるだろうか。実際には「もう一度やる」ことは不可能なのだが…。どちらかと言われれば「楽しかった」けどもう一度は御免だ、そういうことって結構ある気がしている。

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