自重・ちよさき対談 第1回「反出生主義とは何か」

 この企画ではnoteに反出生主義関連の記事を投稿している自重さんと私ちよさきが、反出生主義に関係するテーマを決めて議論します。初回は「そもそも反出生主義とは何か」について検討します。

ちよさき:初回のテーマは「反出生主義とは何か」ということです。どのようにすれば反出生主義を短く的確に説明できるのか、考えていきたいと思います。
 現代では何かを調べる際に辞書よりインターネットが使われることが多いと思いますので、「反出生主義」をGoogle検索してみたところ、最初に出てきたお馴染みWikipediaでは「反出生主義(はんしゅっしょうしゅぎ、英: Antinatalism)とは、子供を持つ事に対して否定的な意見を持つ哲学的な立場である」という説明がなされていました(英語版の最初の1文も同内容でした)。まずこの説明について、自重さんはどう思われますか?

自重:端的に表す言葉としては合っていると思います。単なる個人的な嫌悪ではないことを「哲学的な立場」の部分が表していると思いますので、個人的には納得がいきますね。ちよさきさんはどう思われますか?

ちよさき:私もこの説明は間違っていないと思います。確かに「哲学的な立場」というところで単なる子供嫌いではなく、論理的に構築が試みられている思想であると表現できていますね。
 ただ疑問点としては、この説明だと子供を持つ事に否定的である根拠は問題とされていないところがあります。Wikipediaでは人生の苦痛や環境問題、宗教的教義など様々な反出生主義の思想が挙げられています。確かにこれらすべては「子供を持つ事に否定的な哲学的立場」ですが…。

自重:言ってしまえば、反出生主義そのものというよりも、親和性の高い思想や価値観まで詰め込んでる感じですよね。
 確かにどれも出生を否定しているけれど、普段私が考えている「反出生主義・アンチナタリズム」はこんなに幅広いものを包摂していないと思うんです。AN(編集註:AN=アンチナタリズム)とXは親和性が高い。でもAN=Xじゃないし、ANの中にXは含まれない。あくまで「仲間」だと思います。
 私個人では、AN・反出生主義=道徳的、博愛的な観点、或いは厭世的な観点から出生を容認しない立場だと思ってました。

ちよさき:「反出生主義」という字だけでは「出生に反対する思想」以上のことが読み取れないので、出生に否定的であれば根拠にかかわらず反出生主義という扱いも否定できないとは思います。
 ただ私も自重さんと同様に、自分の考える「反出生主義」はこんなに広いものではないという感覚があります。自分が正しい反出生主義論者だと言うつもりはないんですが、普段私が「反出生主義」というときに指すものは、Wikipediaに挙げられている「反出生主義」より狭い範囲でしかない。自重さんとは立場が近いと感じているのでここでは「反出生主義」だけで概念を共有できていますが、相手によってはそうではない場合がありえるのではないかと思います。

自重:概念を共有できてないと、すれ違いや衝突も起こりかねないですよね。思い当たる節があります…。
 相手の考える「反出生主義」と私が考える「反出生主義」が違うと、同じことを話してるつもりなのに、実は違ってましたーとかいう“アンジャッシュ状態”にもなりかねない。
 現状,「反出生主義」は様々な解釈が乱立している印象があって,分類と整理が必要だと感じています。

ちよさき:そうですね、それぞれ特徴で幾つか分類しておくことは論点の整理になると思います。
 では、どう分類するのがいいでしょう?まず1つ基準になるのは誰or何のための反出生かというところでしょうか。

自重:基本的には、非存在の為というのが大きいと思いますが、ちよさきさんはどうですか?

ちよさき:はい、非存在すなわちまだ生まれていない人たちが人生を回避できるようにするという立場が一つ、個人的感覚ですが日本で反出生主義というと大抵この立場だと思われます。
 他にWikipediaでは環境保全や人工過剰の防止といった目的も挙げられていました。しかしこれらは確かに「子供を持つ事に否定的」とはいえ、非存在の保護とはまた違う思想だと思います。前者は「自発的な人類絶滅運動(VHEMT)」という名前がありますし、後者は単なる人口調整です。これらは通常「反出生主義」に含まないほうが混乱を避けられるかと思います。
 他にはどのような分類ができると思いますか?

自重:厭世的な観点からor博愛的な観点からのどちらか?というのはどうでしょうか?第3の分類もあるかもしれませんが…。
 お馴染みThe real argumentのサイトによると、博愛主義的アンチナタリズムは「既に存在しているものではなく、これから生まれてくる潜在的可能性を持つものを考慮した立場」であり、厭世主義的アンチナタリズムは「(環境への負荷や、他者へのストレス・危害をもたらす)種がヒト以外に存在したら、我々はそのような種は存続すべきでないと考えるだろうという認識に基づくもの」であるとのことです。
 改めてこの定義を見てみると、自分を含め多くの人が博愛的なものと厭世的なものを一緒くたにして理解しているかもなと感じました。

ちよさき:厭世主義的アンチナタリズムという字面から勝手に「生まれたくなかった」を軸にしたものかと思ってたんですが、そういう意味だったんですか。確かに両者にはアプローチの違いがありますね。一方で対立するものではないように思えますし、一緒くたに理解しているというのは両者が衝突するものではないことの裏返しかもしれません。

自重:確かに。特に「環境への負荷」については、厭世というよりどちらかといえば博愛とか道徳とかの方面かなと思ってたんですが、この定義なら厭世のほうに分類されるのも頷けます。
 「生まれたくなかった」については、例のブログによると「(前略)アンチナタリストは自分が生まれてきたことを嘆いているわけではない。中にはそういうものもいるかもしれないが、アンチナタリズムという思想とは必ずしも直接関係があるわけではない。最初に説明したように、アンチナタリズムは『生むべきでない』であって『生まれたくなかった』という個人的な嘆きではない。」「例えば、厭世主義的なアンチナタリズムは生のクオリティの評価とは関係がないし、博愛主義的な見方をするものでも、自分はたまたま恵まれた環境に生きているが、世の中にはそうでないものたちが多くいて、新たに生まれてくる子供がどちらの側になるのかはわからないし、不幸なものたちを助けようといくら努力してもきりがないため、そもそも動物は生まれてこない方が良いのではないか、という考えに至りアンチナタリストになるという人は多くいる。」とあります。
 ただ生殖のギャンブル性という見方からすると、個人が自分の生のクオリティが基準より低いことを理由にするのもおかしいことではないようです。例のブログもこう述べています。「仮に生殖に反対しているあるアンチナタリストの生のクオリティが何らかの基準から見て低いものであり、当人もそれを主な理由としてアンチナタリズムを主張していたとしても、それがアンチナタリズムの正当性を示すのに十分な理由になりうるということである。」

ちよさき:「生まれたくなかった」は反出生主義の入り口の一つであっても反出生主義そのものではないということですね。「反出生主義」という言葉が「出生に反対する」というふうに読めてしまうのも誤解を生みやすくしているのかなと思いました。自分の出生はもうどうしようもないですし、むしろ「反生殖主義」のほうが的確なようにも思えます。
 日本で主流なのは私の見る限り博愛主義的・厭世主義的アンチナタリズムかなと思うのですが、この二者が対立構造になくむしろ混ざってすらいるということは、「反出生主義」にかかわる認識の齟齬は反出生主義への誤解か、あるいはもっと細かい理論のところが原因になるのかなという気がしてきました。

自重:私もそう思います。博愛的ANと厭世的ANの考えが、どちらも支持者の間でナチュラルに浸透しているのだなと感じました。

ちよさき:ここまで少し反出生主義の分類の話をしてきましたが、最初に戻って反出生主義を短く的確に説明するならどうするかを考えたいと思います。
 Wikipediaの「子供を持つ事に否定的な哲学的立場である」という定義は悪くはないのですが、やや説明不足かなとも思います。もう少し詳しく説明があったほうがいいでしょうね。

自重:そうですね。付け加えるとしたら、「アンチナタリズム-反出生主義とは、出生に対して否定的な見方を持つ哲学的な立場のうち、『これから生まれてくる存在の潜在可能性を考慮するべき』という博愛的な観点、及び『ヒトは環境に負荷をかけ,他者へストレスや危害を及ぼす』という厭世的な観点から主張するものをいう。」でしょうか…。

ちよさき:私もそういう説明があるとより正確になると思います。さらに補足するなら、単なる「生まれたくなかった」という嘆き、子供嫌い、チャイルドフリーの立場ではないということまで言うと輪郭線がはっきりするでしょうか。

自重:とてもよいと思います。今までの話をまとめると、「アンチナタリズム-反出生主義とは、出生に対して否定的な見方を持つ哲学的な立場のうち、『これから生まれてくる存在の潜在可能性を考慮するべき』という博愛的な観点、及び『ヒトは環境に負荷をかけ,他者へストレスや危害を及ぼす』という厭世的な観点から主張するものをいう。単なる『生まれたくなかった』という嘆き、子供嫌い、チャイルドフリーの立場ではない。」というふうな定義となりますね。

ちよさき:はい、大分まとまりましたね。Wikipediaよりは狭くなりましたが、普段私たちが「反出生主義」と言うときのイメージに合致していると思います。
 ちなみに「反出生主義」と「アンチナタリズム」ですが、自重さんはこの両者を同じものと捉えていますか、それとも何らかの差異を感じていますか?私は同じものとして、単なる字数削減で反出生主義をメインに使っています。

自重:私は、基本的にThe real argumentの定義に賛同しています。「『反出生主義』と『アンチナタリズム』はそれぞれ独立に広まっており、一般的には『反出生主義者』を名乗る人たちは、道徳的立場の表明として用いていないか、道徳的な立場として不十分な場合が多いためです。」これですね。
 全員がこうだとは思いませんが、現状「反出生主義者」を名乗る人達の中に、上記のような人達は一定数いると思います。でも将来的には「反出生主義」がアンチナタリズムの正確な訳語、同義語となる事を望みます。その方が圧倒的に簡単で分かりやすいですからね。そのために行動していくべきです。

ちよさき:確かに使われ方を見てもアンチナタリズムのほうがより道徳的な観点からの文脈で使われている感じはしますね。両者が同義語であるのが望ましいというのは私も同意します。
 ここまで反出生主義とは何かという話をしてきました。基本的な事項でしたが改めて確認出来てよかったと思います。ありがとうございました。

自重:普段見過ごしてしまっていたことも認識でき、とても有意義だったと思います。こちらこそありがとうございました。

 お読みいただきありがとうございました。時期などは未定ですが、今後もこのような、テーマを決めての対談形式のnoteを作る予定です。ご意見ご質問などあれば、コメント欄にお待ちしています。

自重さんのnoteはこちら↓

(第1回編集:ちよさき)

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