その⑦ 工夫が命を救った。知恵で人を救う人こそ政治家 『世界で一番幸せな男 101歳、アウシュビッツ生存者が語る美しい人生の見つけ方』を読んで
この本には、小さな工夫や機転が命を救ったシーンが数多く出てきた。
収容所に列車で運ばれるとき、200ℓのドラム缶が二つ置かれた。一つは飲み水が入ったもの。一つはトイレとして。
1,500人が乗せられ、一つの貨車に150人。
ギュウギュウに立ち、膝をつくことはできても、寝たりコートを脱いだりはできない密度。外は凍えるほどの寒さだったにも関わらず、中は空気が淀んでたえがたい暑さだったという。
そんななか、エディのお父さんはどこに隠していたのか、携帯用の折りたたみコップとアーミーナイフを取り出し、一枚の紙を150枚の正方形に切った。
1日一人につきコップ二杯の水。1度目に渡された紙を、二度目には返すようにして、満遍なくそこにいる人に水が行き渡るきまりをつくった。
他の貨車からは、子供が喉が渇いて死にそうだという母親の叫び声が続き、やがてそれも聞こえなくなったそうだ。
他の貨車は40%の人が列車が列車に着く前に亡くなっていたのに対し、エディとお父さんのいた貨車は、犠牲になったのは二人だった。
これを読んだときに、政治ってこういうことなんじゃないかと思った。そこにいる人の命が最大限助かるように、できる範囲の中で知恵をしぼる。リーダーシップってこういうことかと思った。
それなのに、結局エディのお父さんは、列車がついてすぐにガス室送りになった。
その他にも、エディのお父さんは自分たちが見つかる寸前に、他人の子供たちを壁の中に隠した。そのことによってその子たちは、戦争が終わるまで無事に過ごせたという。
ナチスは、エディのお父さんを殺すことはできても、生きている間にした思いやりのタネが芽吹くのを止めることはできなかったし、エディに引き継がれた愛情を消すこともできなかったどころか、エディから息子や孫に受け渡されて、さらにどんどん、私たちのように会ったこともない人間にまで広がるのを止めることはできなかった。
人を殺すことはできても、その人の宿した思いを消すことはできないのだ。
エディもいろんな工夫をしている。私たちが暮らしの中でする工夫とは違い、命がけの工夫だ。
毎日工場まで一時間半、木と帆布の靴を履いて歩く。
そのときに転ぶとその場で射殺される。粗く削った木の靴は、尖った部分が足の柔らかいところに食い込む。
三日ごとに靴の前と後ろを変えることで、尖った部分が足の柔らかいところに当たらないようにした。そんなちょっとしたことで生き延びられたとエディは書いている。
廃品を見つけてナイフを作り、それでイニシャル入りの指輪を作って、出入りしている一般人に、シャツや石鹸と変えてもらったりもしていた。
そして何よりも、素性を隠してまでもお父さんがエディに身につけさせた知識のおかげで、エディは生き延びられたと書いている。
知識がないと生き残れない世の中なんてごめんだけれど、知識や知恵や工夫や機転が命を左右したのはれっきとした事実だ。
7回にわたって、エディの本の感想を書いた。お付き合いくださった皆様、誠にありがとうございました。
最後に、エディの言葉を。
〜いままで学んだなかでもっとも重要なことはこれだ。
「人の営みのなかでもっともすばらしいのは、愛されることだ」本文より〜
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