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編み物教室を辞めた話

3月末で、10年以上通っていた編み物教室を辞めた。
編み物以上にやりたいことが出来たので、4月から、そちらに専念するためである。
…と言うとずいぶん高い志のようだが、実際にはその「やりたいこと」も殆ど進歩していない状態である。

まずパソコンが良くない。
タブレットとしても使えたら便利だろな~と、持ち歩きできるサイズが欲しかったのと、で、深く調べもせず某フリマアプリで安さに飛びついて中古を買ってしまったのだが、それまで家には20年前の骨董品のようなパソコンしかなく、私が買ってセットアップもしたにもかかわらず近年は実体「家人がYouTubeを見る専用の端末」と化しており、私は基本スマホしか使わず、SNSで短文を書くばかり。たまに長文を書きたい時ですら、なんとかスマホで書いてしまう状態であった。
だからやっと自分専用のを買えて心躍っていたのに、なんとUSBポートがひとつも付いておらず、既存の周辺機器は全く使えないどころか、タブレットとしても使えることが災いしているのか知らんが、カーソルが勝手にあちこち飛び、こうして文章を書いている途中でもあさっての方向にカーソルが飛んだ結果、無駄なロス発生するわ、なんなら折角書いた文章消えちゃうわ、と、何度繰り返したかわからないクソハズレパソコンだったのだ…やはり店舗で実物触って確認しなきゃダメやな…

て、話がそれた。
つまり、
新しい「やりたいこと」はパソコンが必須なのに、そのパソコンがクソ過ぎて、現状全然さばけてないって事を言いたかったのでした。

編み物の話に戻る。
そもそも教室に通いはじめたきっかけは、編み物師範を志したからであった。
それまでも趣味として自己流で編んでいたのだが、師範になるためにはきちんと勉強しなきゃと思い門をたたいた。編み物をする人なら知らない人は居ない、ハンドメイドに特化した企業「日本ヴォーグ社」と提携し、県下では希少な、ヴォーグ社公認の資格が取れる教室だ。
…のだが、
実態は
「暇と金がある奥様方が喋りながらゆるゆる編み物をするサークル」
と化しており、私のように資格取得を目指して通っている人間はめったにたまにしかおらず、もちろん先生はちゃんと教えてくださるのだが、それにしても、金は無い、暇もそれほどあるわけじゃない私には、場違い感半端なく、ゲッ何だ思ってたのと違う!辞めようかな!と焦ったのもつかのま、いつのまにか、優しい先生、優しい仲間、そして何より当時ご健在だった90歳近い大先生の魅力にとりつかれ、もはや勉強しに通うというよりも、癒しスポットになってしまい、他ならぬ私自身が、ゆる編みラー。になってしまったのである…

このあたりはひとシーズンで何とか編んだ。がんばった…

だって何しろ、先生も生徒仲間も、親ほど年齢が離れた方が大半で、私は常に若者扱いされ、毎度毎度、着ている洋服、髪形、持ち物にいたるまで、やはり若い子()は違う。センスがある。と、いちいち褒められるのだ。そのうちウェアを編めるようになったらもう大変。神輿に担がれるごとく褒められた。
これほど自己肯定感を高めてくれる場所がかつてあっただろうか。

指無し手袋は大好評で、人にも編んであげた。

だが一方で、
「こんなぬるま湯にいつまでも浸かり続けていていいのか」
と、我が身を案じていたのも事実であった。
そりゃ70歳を超えた生徒仲間から見ると私は若いのだろう。でもわかっている。社会的には全く若くなく、もはやむしろ、若者を育てなくてはならない年齢であることを。
でも実際のところ育てるスキルも寛容さも持ち合わせておらず、編み物は好きだが編み物だけして年をとっていいのか。このままだと、20~30年後、絶対後悔すると思ったのだ。

というわけで、死ぬ前に後悔しないため、編み物以外にやりたかったことの最後のチャンスにかけるべく、編み物とはいったんお別れすることにした。
好きこそものの上手なれ。という。
だけど限界がある。
これまで数えきれないくらい沢山のモノを編んできたが、完全オリジナルは、販売している「指人形」と、他ほんの僅かな小物だけだ。こと、ウェアに関しては、技術は高まってもとうとう完全オリジナルを編み出すことは出来なかった。
それは私が文系だからだ。
反論はあるかもしれないがあえて言うと、編み物や洋裁は理系脳の賜物である。
方眼紙と、専門書と、にらめっこして、ほんの少しサイズを直すレベルのことは出来るようになっても、その先には到達できなかった。きっとこの先何年やっても同じだろう。

左下、甥っ子に編んだインベーダー柄のベストは、柄だけは自分で全ておこした貴重な作品。形は勿論書籍からですが。
右下、タキシードサムの編み込みベストはネット配布の製図に書籍の編み込み柄を組み込んだ。

だから新しい、やりたいことも「2年」と期限を設けてチャレンジすることにした。
編み物も並行して出来れば一番よかったのだが、
勤めに出て給料を貰わなければ生活はままならないし、家事も、猫の世話も、しなきゃだし、何しろ時間がない。
編み物をしない皆さんも想像に難くないように、編み物はとても時間を遣う。せめて1シーズンに1枚は編みたいのに時間との戦いで、達成できず翌年持越しになってしまうこともしばしば。そんな自分が嫌になり、大好きなはずの編み物がストレスの元となっていたのも事実だ。

ウェアではオリジナルを生み出すことはできなかったが、
ハンドメイド作家としてフェスで販売できるようになったし、
師範の資格まではたどり着かなかったが、SNSに堂々と書けるレベルのグレードなら得ることができた(日本手芸普及協会手編みセミプロフェッショナルコース終了)
つまり、10年あまり編み物教室に通った時間は、けして無駄ではなかったのだ。

これで東京、大阪の猫フェスまで出店しに行った。
2022年春には個展も開催

4月1日は用事で出かけていたこともあり、教室を辞めた寂しさはさほど感じなかったが、翌週8日。天気も、体調もいいのに、もう、朝からバタバタと家事も中途半端なまま、着ていく服に悩み(だいたい殆ど手編みを着ていくため)編み物教室に出かけなくてもいいのだ。夜から用事があっても、編み物の大荷物を抱えて行かなくてもいいのだ、と気が付き…急に、辞めたことを実感し、いちまつの寂しさが体の中を吹き抜ける思いを抱えながら街を歩いたのであった。

て、実は、3か月後には「顔見せ」に出向くことになっている。
その頃はもう夏だ。
編み物道具はじょじょに片付けていく所存だが、編みかけの夏物ウェアがあるので完成させるまでは最低限の道具は残そう。そして3か月後にはそれを着て行こう。
10年以上も在籍すると、生徒仲間のメンツもだいぶ変わったし、大先生は2年前、99歳で亡くなった。形見分けで沢山の作品をいただいた。これから先も私の中ではずっと生き続けていく。
最初からずっと一緒だった仲間(うちのオカンと同じ年)は、
「寂しい。でも羨ましい。がんばって!」
と言ってくれた。
その言葉に応えられるように、新しい道に精進したいと思う。

部屋の一角をしめる無印良品の棚。中身はほぼ全て編み物用品。3ヶ月後には別の用途に使いたい。

っと別に、編み物を完全に辞めるわけではなく、ハンドメイド作家はゆるゆると続ける予定なので…
何だかんだ、思っているよりは片付かないかもしれない…
というオチ。

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