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政治は誰のためのもの

都知事選が終わった。
同日、鹿児島県知事選挙も行われた。
どちらも現職が再選を決めました。

先般、イギリスでは総選挙の結果、政権交代があった。
フランスも国民議会(下院)の決選投票の最中。
イランには新しい大統領が誕生した。
アメリカでは、大統領選撤退要求が高まっているとかなんとか。


個人的に。
政治の始まりは集団生活と農業にあるんじゃないかと思っている。

はるか昔、人間社会の始まりは、生き延びるために複数人が連れ立って歩くようになったことにあるんじゃないだろうか。

同じ集団に生きる人間全員が生き伸びること。
この目的をより効率的に達成するために、集団を率いる『リーダー』が生まれた。

やがて、生活の中心が狩猟採集から農業に移っていっても、目的は変わらない。同じ場所に生きる人間全員が生き伸びること。
そして『リーダー』に求められたのが、より確実な収穫のための、天候や栽培の『知識』だった。

『知識』は独占することができた。
独占できなかった人は、独占できた人に教えを乞うしかない。これが身分に繋がる。
一方独占できた人も、独占できなかった人を行動させないといけないわけだから、『知識』のおすそ分けとして祭祀を行った。
『政』の字を『まつりごと』と読むのはこの名残なんじゃないだろうか。

だけど。
時間の流れの中で、政教分離の原則が謳われ、
身分はもちろん社会的性差だってクソクラエになった。
『知識』『情報』も、タテマエで言えば、誰だって手に入れられる。

すると、今、政治に求められるのは……?


こちらの記事、イギリス紳士らしいといえばそこまでかもしれないけど。
『互いを讃えた』ということに胸を打たれたのです。

こういう、意見の違う敵でも『同じ地球に生きる人間』として認めてくれること。
何より、『同じ場所に生きる人間全員が生き伸びる』ことを真剣に目指して立候補してくださった人物に1票を投じたいというのが、一有権者のワガママ。

七夕の選挙の結果もそうであったことを祈っています。


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