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「おひとり様で生きる」に思う

こんな見出しのタイトルがあるけれど。
1人だろうが、
2人だろうが。
或いは、大家族だろうが。
この世から旅立つ時は、
1人なのではとも思う。

「孤独死」なんて言葉も、
使われるけれど。
これだって、
亡くなる時はひとり。

誰かの助けがあるかもしれないし、
本当に、
1人だけという状況ではないかもしれないけれど。
亡くなる意思は、
その人のものだし。
選択している瞬間もその人のもの。

例えば、
亡き母は。
とある老人病院で最期を迎えたけれど。
微熱が続いて、
辛かっただろうか。
その母が、
姉と自分が、
偶然帰省が重なって。
父と3人で見舞いに行った翌朝だった。
面会の時、
枕元で、「来たよ」
そう言ってみたけれど。
きっと聞こえていたに違いない気がする。
そして、選択をしたのかもしれない。

父は、
102歳の夏。
つまり、
もうすぐ103歳を迎える時に、
股関節の骨折で、
術後が良くなかったのか、
紙おむつの自分に、
覚悟を決めたのか?
食事を摂取出来なくなって。
息子と面会に行った1週間後旅立った。

側にいられた訳でもなくて、
自分の意思が働いていた、
そんな気もする。

日頃、
まるで1人で生きている訳ではないけれど。
命は、
自分自身のものだと思う。
生かされながらも、
生きることをどこかで選択している。

精一杯生きて、生き抜いて。
立派な最期なんてことも言われるけれど。
そんなことだって、
人それぞれだし、
静かに1人で旅立ちたい。
そんな風に思う方だっていると思う。

今日は、
やや斜な考えを書いているけれど。
いつも思うこと。
今現在を、
どんな風に過ごせるか。
せっかくの命なら、
そんなことに気持ちを使いたい。

YouTubeを観ていたら、
神戸あたりで、
オシャレな洋服のお店をされている、
80代の女性を紹介していた。
数年前に、
ご主人を亡くされたのだが。
今でもご主人のプレゼントのバッグを、
大切に使っている。
ご自身も、
とてもオシャレな方で。
赤いコートをステキに着こなされている。
「毎日を、
好きな洋服を着てオシャレを楽しみたい」
そんな風に仰っていた。
自分も、
好きな服を着て、
楽しく暮らしたいと感じた。
そして、
好きなことができる環境に、
置かれている自分を、
しみじみ幸せだと思える。
他国を思えば、
なおさら。
今、この時間。
noteを書ける自分も幸せなのかもしれないなぁ。

*ご病気だったりで、
生きたくても、難しい状況の方は、
別の問題です。
ご理解くださいね。

ありがとうございました。
また!

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