映画「そばかす」感想

アロマンティック、アセクシャルの人が主人公の映画 と
Twitterで流れてきて

恋愛をしたことがない、そういう感情もない
だけど楽しく生きていけるー
それが私だと思っていた

とあったのでとてもとても楽しみにしていた。
三浦透子さんが素晴らしかったし
自分の性自認がアセクシャルなんだろうなと最近思い始めた私には
彼女が

恋愛もしたくない、そういう感情もない
だから一人で生きていける それが私

と叫ぶのがありがたいと言うか
そう!それな!!それなんだよ!
の極みで
強がらなくていいよ みたいに返されるけど
そうじゃないんだよ!!て強く思った
そのままで生きるのがこんなにも自然発生する周りの圧力でしんどいのか
ただただ普通にしあわせに生きていたいだけなのにと思っていた
ので、この映画が映画として上映されている事で息がしやすい感じがした。

恋愛至上主義というか、
人は恋愛してなんぼな空気が蔓延していて
人の深みとか、厚みとか、感情表現とか、創造力とか
あとは映画の中でもでてくる
社会的に結婚していることが信頼に繋がる(男女限らず)とか

好意を向けられたら戸惑うし
「好き」とか分からん と言えば
まだそう思える人に出会ってないだけとか
またまた、そんなこと言ってとか
大人になればわかる
とか言われるし(大人っていつだよ笑)
とりあえず寝てみたらとか
女のSEXは男の何倍も気持ちいいって言うしとか
体験したら変わるかも
とかもあったな

や、気持ちいいのかも知れない、そうかも知れない、気持ちいいならそこにハマるかもしれない
けど
だけど、こっちは好きでもない相手と確認だけの為にSEXするには
女だしリスク背負いすぎるし、先にリスクの知識も得ちゃったし、
何よりそこをおしてまでの興味もない

昔あった突然迎えが来て、相手に会ったのは結婚式に会ったのが初めて
みたいな家の結婚や、許嫁制度や
独り身同士を大家さんが取り持って意志よりお金的な事でくっつける
みたいな仕組みがない限り結婚もしないだろうなと思っていた。

男が好き、女が好き、幼子が好き、歳上が好き
性の対象が「ある」、なら、「無い」もあるのでは?
(0の発見?!とその時は思った)
と思いついたのは30を過ぎていて
調べたら アセクシャル と言う単語が引っかかった

他者に対する性的な惹かれ(性的魅力を感じること)の欠如、すなわち性的な行為への関心や欲求が少ないか、あるいは存在しないことである

あぁ、そういう属性もちゃんと名前があるのか
世の中では認識されてるんだな
と思った。
たぶん自分はここに属しているんだろうなと。
名前があった事で少し安心した
そして アセクシャル の人は特に人に言う事もなく、独身で生きて亡くなる事が多いので
分かりにくい とも書かれていて
おぉ!それはそう!だし
私も自分がそうなると思っていたので
とても腑に落ちた。

性的マイノリティとされているLGBTQのなかでも
たとえ荊の道で世間的に色々と困難があっても
LGBの人たちはちゃんと人に対して恋愛感情があって
昔から同性愛の人たちへの強い憧れがあったのは
困難があっても好きが止められないし、ちゃんと好きがあって求めている という所だった。
しかも困難があってもパートナーがいて結ばれる事すらある。なんて素晴らしい!

恋愛至上主義 が席巻している世の中で
恋愛感情が分からない と言っても
理解されないし、流されてなかった事にされていく
そんな人間ないない と。
自分でもそんなはずないだろうと
好きな人を探そうとするし、恋愛話も話を合わせる為に仮定で好きな人を想定して話したりする

人が嫌いとかではなく、普通に親兄弟や友達はめちゃくちゃ大事だし好き、推しも好き
でもそういう「好き」とは違う「好き」だと人は言う
本や映画、お芝居からの恋愛の好きは分かるけど自分の中からは湧いてはこない
自分は欠陥があるな
でもまぁいいか。ありがたい事に友達もいるし
このままひとりで生きて死んでいけたらいいか
と思い至った

結婚したら?ひとりじゃ心配、と散々言われる年齢も過ぎて
周りも諦め始めたら
ようやく静かになった。まだたまにはあるけど。
不安があるとすれば社会はあんまり一人で生きていくようにはできていない
でもまぁ結婚すれば必ずうまくいくものでもないので
どっちにしても将来なんか誰もみえない。
誰しも補償なんてないのだしそこは恋愛感情あるなしや、未婚既婚は関係ない
親がいた時は結婚式の姿や、孫を見せてやれないのは親孝行できないのでは?と思っていたけど
もういないので長く心配かけなくてよかったとも思う。
いれば今頃相当うるさく言われているかも

社会の中でうまく適応しているふりをしながら
なんとなくしあわせに生きていられたらいい
と思っていたところに

この映画があって
最後の台詞(ほんとに素晴らしいひと言)があって

みんなそれぞれなんだし
勝手に生きて
勝手にしあわせになったらいいやん

人の価値観とか、人からどう思われるかとか
押し付けられても うるせぇわ 一択だし
理解できないなら、分かる努力をして調べるか、調べても分からなかったら、一旦分からないBOXに掘り込んでおいて
そのままフラットにいたらいいと思う
分からないからといって、自分の中にあるレッテルを張ったり、否定したり、攻撃したりするのは違うと思う
で、みんな人に興味があり過ぎる気がする
そんなに一緒じゃないとダメ?不安?
敵意はないよ。ただ恋愛感情が自分から出てこないだけなんだよ
嘘ついてないんだよ。信じられないかもしれないけど本当にそうなんだよ。
その他はだいたいはわかるの、なんなら恋愛映画で泣いたりそういう感情の動きはあるし
人と人との付き合いってそこまで大きく差なくない?人としてでよくない?
男女だからとか恋愛だからとかで特別な何かがあるの?
あるのか?まぁそこは分からないしな。

映画というたくさんの人が観れる媒体で
しかもちゃんと残る形で
この事が不自然じゃなく作品として、
しかも上質な作品として映画館で上映されていて
本当に良かったなと思った。

私だけじゃないし
意外とたくさんいるかもしれないし
そういう人がいるって思いもしない人が
気づいて世界の解像度があがるかもしれない
そしたら、今までの常識で何気なく発されていた
否定が少し和らぐかも知れないし
それで無闇に傷つく人も減るかもしれないし
何だこの違和感?と自分の中の違和感が解決して早くちょっと楽になる人がいるかもしれない
それはとても救いになると思う

もう一回は絶対映画館でみたい


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