リビングの隅にヒーター夏は来ぬ

お陰さまでTwitterのフォロワー数が290名となりました。本来なら300フォロー等、もっと切れの良い数字はありますが、現段階でアンケートを取ると、どれくらい皆さんがリアクションを返してくれるか試してみたくなった次第です。

折しも、YouTubeの夏井いつき先生の動画では格助詞「に」を掘り下げるシリーズを行っています。
便乗というわけではないですが、この「に」が句に及ぼす効果、下手をすれば悪さについて書いてみたくなりました。

さて、自分の句のストックには今回の題名にもした「リビングの隅にヒーター夏は来ぬ」という句がありました。

この句のラストが「来(く)」の連用形「き」に完了の助動詞「ぬ」なのか、はたまた、打消しの助動詞「ず」が口語体となり「ぬ」に変化したものなのか?アンケートはそのどちらかを問うものでした。

結果は、回答してくださった方の8割が「きぬ」と読んで下さいました。

自分としてはどっちでも解釈や鑑賞は成り立つと考えています。

1 「きぬ」と読んだ場合の解釈
リビングの隅「に」ヒーター(を追いやった)夏は来た

2「こぬ」と読んだ場合の解釈
リビングの隅「に」ヒーター(がある、片付けるに片付けられない)夏は来ない

と、実は句全体の要になってるのは「隅に」の「に」だと考えます。
ヒーターの現在ある場所を示しているのはどっちの解釈でも「隅」で同じですが、1の「に」は、(追いやった)先の場所を示し(追いやるという動作の対象)、2の「に」はヒーターがある場所(場所)を示しています。

1の読みをより明確に示すには助詞「に」を動作の方向を示す格助詞「へ」とすれば、リビングの隅へヒーターをよけた、夏が来た、と繋がりやすくなります。

2の読みを明確に示す場合は、助詞「に」を差し替えるのではなく、「来ぬ」を「来ず」と文語体にしたほうが無難でしょう。

実作した自分の句の解釈していくこの作業、句を作った直後は、特に思い入れが強いとなかなかできないものだと感じています。

その為に自分は句を作って一週間は寝させてから投句まえの推敲をしてます。

このやり方が実を結ぶことはあるのか?間違ってないか?信じて行うのみです。

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