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ふるさと自慢

鬼の居ぬ間ならぬ、ウィルスの居ぬ間に、2年ぶりに帰省しました。
これまで帰るとすれば盆か正月だったので、秋に帰ったのは、もしかすると独立してから初めてだったかも。

秋晴れのもと、鎮守の森へ行ったり、母と散歩したりして、紅葉の里山を満喫することができました。車がないと、どこにも行けない地域なので、たいていは母や弟の車に乗せてもらうのですが、今回は天気もよかったので、せっせと自分の足で歩きました。

十八年間、小さい狭いと思って暮らした集落ですが、生活の必要とは関係なく歩き回ってみると、まあ、なんと広いこと。お祭りのたびに出かけた神社へ行こうとして、迷いかけたのにはまいりました。一本道のつもりだったのに新しい道路ができていて、思いがけず交差点に出くわしたので、どっちへ行くべきか分からなくなったのでした。
ほかにも、子供たちの通学路が変更されていたり、新しい住宅がまとまって並ぶ場所ができていたり、変わらない変わらないと思っていた故郷にも、時代の風がしっかり吹いているのが確認できました。

いい天気だなー、素晴らしい空気だなー、木々の色が綺麗だなー、と、幸せいっぱいな気持ちを忘れないため、帰り際、庭に落ちてた小さなどんぐりを一粒、お守り代わりに拾ってきました。(見出し写真です)

若い頃は、自分の住んでいる場所がとにかく窮屈で、どこか遠くへ行きたいと思っていました。田舎生まれなのは、けっこう気に入っていましたが、それでも、海があるわけじゃない、山があるといっても、名の知れた高山ではなくて、子供でも登れるようなお椀を伏せたような小さな山ばかり。それって、なんだか、つまらないな、よその人に誇れるものがないな、と思っていたものでした。

ですが、今回、ほくほくした気分のまま乗った帰りの新幹線で、閃きがやってきました。車窓から、遠くに高い山が見えたのですが、あの山の中には住めないな、と気づいたのです。高山がある地域では、人は低地、平野に住むのが普通。山はそれなりに遠く、急勾配をかなり苦労して登っていかないと山中には入れません。

だけど、我が故郷では家の隣に小山があります。うちからすぐ裏山に登れるし、毎年、蛙が卵を産みつけていた小川もすぐ近く。東西南北、どちらへ進んでも山の中に入っちゃう。田圃と家々と山とが同じ大地に並んでいる感じ。

何もないんじゃない。親しみやすい、人間に優しい里山があったんだ。
わたしにとっては大きな発見でした。

ふるさと自慢をするようになったら、トシになったってことですね。
でも、今回、帰省ができて、ほんとうによかったです。


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