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すきってこういうこと

今日は年の最後の日。


12月ブログ書けなかった。

とんでもなく忙しかったけど
ひとつひとつ丁寧に
熟せたと思う。


12月はすみれとあんじのことで
いろんな発見と経験と確信を
感じた。

すみれは11月にようやく
大好きな大好きな恋してやまないクラシックバレエを
教えてもらえる先生に出会った。

安堵。
この言葉に尽きる。


そんな簡単に見つかるとは
思ってなかったけど
結構トライした。

子供自身、そこが自分に合ったるかなんて
最初に判断はつかないものだから。

でも、楽しくなさそうにしてたり
楽しみにもしない。
何をしたか伝えられなくても
わかる。
それがいつも決め手となる。

何か好きなことをやりたい。学んでみたいと思っても
教えてもらえる先生と自分の価値観が合わないと
面白くないし、続かない。

それを私がよく分かってること。

せっかくやってみたい、
楽しそうって
思えたのに。

面白くないし。楽しくない。
本当にそうかもしれない。
でも、ただ居場所が違うかったは
ある。

ピアノを習いたいと
子供が言い出したら、親はどうするか。

通いやすい近場のお教室にまず体験に行くか
どうせ習うなら町で一番有名なスクールに通わせてみよう。
そういう感じだと思う。

で、大体体験レッスンで
まあここならええんちゃん。
通ってみたら?となるだろう。

よく大人になって
「習い事続かんかった~好きだったのに
先生が嫌いだった。練習が嫌だった。」
そんな話を聞く。

わたしの体験で言うと
あれもやってみたいこれもやってみたいと
思っていたけど
やらせてくれたものもあるし
やらせてくれなかったものもある。

よく親にあんたにはいろいろ習い事させたったのに
いっちょも続かんかった。ったと
言われる。
そういう記憶だけ残っているけど
わたしは
スイミングはどういう風に体を使ったら
ええか知りたくて行きたいといった。
でもバタフライをしてる人を見て
わたしこんな泳ぎ方せんでも
クロールと平泳ぎと、背泳ぎができたらええわと
それが自分的にできるようになって
やめた。
けど、おかんらにしたら途中でやめた。ということに。

お習字もじぶんが左利きだったから
左利きでも右利きのやつより
綺麗に書けるようになったら
やーめよって思ってた。
そんで、右利きよりうまく書けるようになって
やめた。

でもエレクトーンは違った。
最初、ピアノを習うはずだった。
でも隣にエレクトーンが置いてあった
エレクトーンからいろんな音色が
混ざりあって、リズムがあって
ピアノじゃなくてエレクトーンがええって
始めた。

でも、小学校の間習っていた先生が
理由は忘れたけどやめてしまって
違うお教室に代わることになって
中心街のヤマハに通うことになったけど
やめてしまった。

理由はつまらんかった。
発表会もやりたくないのに
やらされて、しかもパートはメインじゃなかった。
すごい嫌だった。
好きじゃない曲を練習する羽目になり
人と合わせる。

やりたいことじゃなかった。
怒られて、練習も嫌だった。

すごい弾きたくなくなった。

やめたいと訴えたたとき
まだ小学校4年生で
親を納得はさせれる理由は言えなかった。

また途中でやめるん?
飽き性やなと言われて悲しかった。

でも、わたしは飽き性なんやなとも
思ってた。

でも、大人になって
思う。
飽き性じゃない。

好きなことはずっと好きで
ずっと楽しい。
しんどいことも楽しい。
ずっと練習してられる。
というか練習とは思わない。
こうなりたい。もっと上手に
スムーズにできるようになりたい。

これでしょって。


すみれという娘を見て
そう思う。

すきってそういうこと。

すみれはどうしてバレエがすきになったの?

よく聞かれる。

わたしもなんで音を奏でたいと思ったんだろう。。。

わたしもひろしもバレエ鑑賞なんて
したことがなかった。

うちの親も音楽鑑賞なんてしない人種。

私の場合。
誰が買ったか知らないけれど
おもちゃだけどちゃんと音のなる
赤いアッパーミニピアノがあった。

すみれは
ディズニーの白雪姫やシンデレラや
眠れる森の美女が大好きで
よくよく考えるとウォルトディズニーの
作品にはすべて音楽が欠かせなくて
バックミュージックはクラシックミュージック。

そこからプリンセスのような
踊りを我流でしているのを見て
この足の運びはバレリーナやなと。

じゃあバレエを習わせてあげたいと
思っていろいろなお教室に行きました。


結論から言うと
バレエが好きだからと言って
バレエ教室どこでもええわけではない。
有名とか個人とか関係なく
近いとか遠いとかじゃない。

でも好きを
全うできる場所はどっかにあるけど
それを探し続けてトライアルして
初めて見つかる。

結婚相手とおんなじやなと。

3つも4つも同じもん
習いにいけん。

でも、子供はあっちもこっちも
情報を得られるわけじゃない。

ということはつまり
子供がやりたいって言ったのに
やりたくないっていうことは
子供のやる気を失う何かがあるということ。

でも小さければ小さい子ほど
それを親に伝えるのは難しい。

でも親がレッスンを見たら
速攻わかること。

あ、こりゃだめだなと。

その判断が親につけれるかどうか。
これが大事なことだと思う。

わたしは自分がここの環境で
この先生で
グループならこの子たちと
一緒にやりたいかどうか。

そこ。

え、そんないろいろ変わったんって
言われるけど
やってみんとわからん。

体験でわかることもあるけど
やってみないとわからん時もあるけど
今すみれが
毎日通いたいという
バレエ教室の
先生の感性、雰囲気、生徒たちの雰囲気
親御さんたちの雰囲気
トータルで見て
あ、ここなんだなと思う。

すみれのバレエは
それまでどこのスクールもひやひや
見ていた。

自由奔放で
自分のやりたいことを押し通す子。

そんな子が
先生をリスペクトして
恋してる。

そんな感覚。
安心して任せられる。

体験の時に
先生がすみれに言った一言が
すみれをはっとさせた。

「すみれちゃん。このバーはね。
王子様の手なの。
だからそっと触れるだけでいいのよ。」と。

間違いなくここでバレエしたいって
言うやろうなと。

わたしもひろしもいつもひやひやしていた
すみれのバレエ。

なにを習うにしても
どこのスクールもカラーがある。


やってることもなにもかも違う。
だって人が違うんやから。


すみれの幼稚園を決めた時と同じ。

わたしも幼稚園に通うなら
ここに通いたいって思った。

バレエもそう。
親のわたしならここがええって思った。

松田聖子の
ビビっときました。です。

びびび~~~って。

そんなこんなで
一か月。

1か月しか通ってないのに
好きが伝わってるのか
先生にショーに出る?って
もちろん、やりたいとすみれ。

そしていきなり入って
急に本番までの間
リハーサル続き。

送り迎えに忙しくなり
あんじのバスケットと被る日もあって

わたしは運転できんからと
あんじのミニバスの一か月に一回の
お当番を私が行くことに。

ちなみに私は
スポーツはそんな興味がないけど
長男が小学校1年生の時から6年間
ずっとミニバスにかかわってきた経験がある。

そういう経験の元。

初めて、ミニバスへ
あんじと一緒に行った。

あんじのミニバスは
わたしらが忙しいということもあって
練習が週3どこもあるから
家から茶利で通える一番近いところで
選んだのが
そもそも間違いだった。

でも、正しかった。
経験になったから。

なんでも気が付いたらええ。
それが肥やしになればいい。
それが参考になればいい。

人生はそういうもの。
間違った道も味わってこそ。
無駄と思われることでも
それが必要だったこと。
それを後々分かればいい。

それを気が付かない人生は嫌だ。

そんで、まず。
「はじめてなんですけど
どうしたらええですか?」と
お母さんが固まるところに行ったら

「わたしら役員で来てるだけなんで」と
あしらわれた。

え?????
なに??
呆然とする。

そいつらはまた固まって
話始める。

あれ、、、。
これ。またおんなじ感覚体験したことある。

あ、そうや、学生時代。

え?まだこんなことあるん?
大人やん。
はぁ~~~~って
思って
突っ立っていたら
違う親がきて
「あ、今日登板の人ですか?」と

ついてきてといわれ
ついていった先はトイレ。

子供たちが粗相することもあるので
お掃除と、スリッパの整理
最初と最後お願いします。と。

ええけど。
いや、なんで、こいつらのために
この私が寒い中
こんなことせなあかんのと
バスケの練習が終わる前のトイレ掃除のときに
思った。

違う、なんで、嫌。
時間、返して。
私の貴重な時間を返せ~~~って思った。

のは、あんじのチームの
子供たちは
あいさつもせん、まじめに練習もせん。
くっちゃべって、だらだらして。

え?何このチームは。

親見たら、ずっとしゃべって
子供らのことも見てない。

5,6年生という試合でスタメンの
やつらをほったらかしで
まだ試合にも出れない子供たちに
コーチも監督もついて教えている。

え?なんで???
聞いたら、5、6年の子供たちの専属の
コーチは平日仕事で来られへんと。

はぁ??

というわけで。

家に帰って、速攻。

「あんじ。ミニバスやめて。」と
親から。

ひどいと思われるかもしれない。
でもやめて。
わたしはあんなチームのために
サポーターはできん。

下手でもええ、まじめに頑張るなら
ええ。

試合で勝てんのは
下手だからじゃない。
まじめに一生懸命じゃない。
好きじゃない。
あれは好きってことじゃない!!!

あの子らはなにしにあそこへ来とるんか?

時間つぶしか?
公園で遊ぶ延長やん。
ほなもん近所の公園でしとけっちゅうんよ。

あんじはどうなん?
バスケットがしたい?
それともあいつらと一緒に玉突きをして遊んで
だらだら時間潰したいん?と。

問うた。

あんじは前から
チームメイトが全然コーチの言うこと聞かんとか
ずっとしゃべってるとかいうて文句言うてたと気がある。

わたしはあんじに
それは本人たちやコーチに伝えて
環境を整えていくのか
それとも別の環境へいくのか、どちらか。

愚痴るな。といったことがあった。
わたしもその日までここまでひどいと
思わなかった。

わたしはこのチームに物申す気はなかった。

親がもう終わってたから。
はじめましての人に対してのあの感じ。

小学生かって思った。

仕事ですらあんな感じだったら
速攻やめる。
全員上も下もない。
全員チームの親。
協力し合ってなんぼやのに。

あれはあかん。
でも、それがおかしいと思ってないところに
いくら物申しても変わらない。

環境を変えるしかない。
こんな人たちが育てる子供たちから
自分の息子が教わることは何もない。

直観が働いた。
闇には近づくなかれ。

我慢なんてしない。
状況が変わるのをじっと待つなんてない。
今の時点で変わることがないと直感で
わかるから。

それは40数年生きて感じとれること。
経験がものをいうとはこういうこと。

あんじ。
ちゃうところ行こう。
バスケットが大好きで
強くなりたい、上手になりたいって
子供たちが集まるところ。

探すから。
トライしよう。

その日の夜、ひろしとわたしで
ネットで調べて行き着いた先が
あった。

あ、こういうことだった。
いろんな出来後ことがここにつながった。

そうか、そういうことだったんやな。


いつも何か事故が起きると
さっと道が開ける。

タロットカードの死だ。

死の先には再生がある。


中学区で県大会5位で
7人しか部員がいないのに
なんで?って思う中学校が
通える地区にあるのを見つけた。

そこには、
小学生でも練習一緒にできると書いてあった。

そこの小学校に通ってないけど
もしいけるならと
次に日速攻電話して聞いてみた。

そしたら、ぜひ見学に来てくださいとのこと。

聞いてみないとわからん、
行動戦と体験できないことがある。


わたしは小さい時の経験と
子供たちのぶつかった壁を目のあたりにして
もう一度
トライしてることがある。

それは音を奏でること。

たまたま、ひろしの姉妹が小学校の時に
使っていた実家で物置になって
誰にも弾かれてないピアノを引き取った。

専門の人たちにお掃除してもらって
調律してもらった。

ピアノやろう。
もう一回。
鍵盤を奏でたい。

わたしは昔と同じ。
人に聞かせたいわけじゃない。
自分の脳に聴かせたい。

いつか目が本当に見えなくなっても
奏でられるように
楽譜なしで弾けるようになりたい。


人間は自分以外の人間に評価されるために
頑張ったりする人がたくさんいるけど
わたしはそれができない。

わたしは人間の結末を知っている。

死ぬこと。
病になること。
脳がボケること。
体が動かなること。

知ってる。

そうなるときに、他人に評価されることって
大事だろうか。
人のために何かできるか?
できない。

自分のために、
今からできることをする。

好きだったこと。
小さい時に断念したこと。
それはじぶんのすきを大爆発させれなかった。

今は自分の感性で先生を選ぶ。
あ、この人。って人に出会うまでって
思ってたら
見つかった。

70歳の先生。
酸いも甘いも経験して
自分らしくピアノの先生をしている。

わたしの滋養を聞いて理解してくれる。
偏見を持たない。
目が見えない時のために
楽譜なしで教えてほしいという願いを
今彼女にかなえてもらっている。

練習が楽しい。
あんな嫌いだったのに。


クラシックなんて興味なかったのに
すみれがバレエを好きになってくれたことで
クラシックの良さが今はよくわかる。

今は漫才みたいな曲を作った
バッハのメヌエットを
練習中。

自分が弾いてきて、耳から脳へ届く
音の玉の重なりがとても気持ちがよくて
心を癒してくれる。

自分ですきを全うする。

子供時代は親の直感とトライにかかってると
思う。

子供の個性を一番知って理解するのは
親しかいない。

子供のせいにしない。
よーく観察する。

だって、もったいない。
すきなことが見つかるって
ものすごい奇跡だから。

人に言われてするものじゃない。

それをつぶしたくない。

親は子供のすきをつぶさないために
どこまでもできることをすればいいと思う。

できない理由をつけない。
親の都合に合わせない。

なんのために生まれてきたの??

すきを好きなだけ好き放題
やるため。

それに気が付けた2023年。
おもろかった。

2024年はもっと
おもろくなる
気しかせん。




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