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chitree誕生秘話

「なんでお店をはじめたんですか?」
そう聞かれることはお店をしてるとよくある話。
その都度かいつまんで話をするけど、店舗を神奈川でオープンすることが決まった今。

改めてこのnoteにも書いておこうと思う。
chitreeを最近知った人も、前から知ってくれている人も、これをみて
「へ~そんな経緯があってchitreeが始まって今があるのか」
なんて知ってもらえたら。


「わたしが生きていくのに必要な物を買える場所がない。。。」


さっそく本題。
わたしがchitreeというお店を作ることになったのは、そう、わたしが欲しい物を手にとって説明を聞いて納得してデイリーに買えるお店が当時の徳島になかったから。

人生で自分のお店を出したい。
なにかしたい!
なんていう夢はなかった。

だけど、だれも作ってくれない。
ん〜〜〜〜。
ほなわたしがするしかない。
というタイミングと長男ゆあんが俺は学童に行きたくないという一言が
重なって、勤めていては学童に預けるしかない。

ほな店舗を小学校の近くでと探し、お店をすることになった。

それがchitreeという店を徳島で1番はじめに立ち上げたきっかけ。

なんでどこにも売ってないようなもので、生活をしたいと思うようになったのかは、ずーーとずーーーと前のストーリーがある。

17歳、病院のベットで願った健康な身体


さかのぼればさかのぼること幼少期。

おちづのお母さんはばりばりの看護師さんでした。

思い返せば、お腹が痛いといえば正露丸。
胃が痛いといえば胃薬。
頭が痛いといえばバファリン。
肌がかゆいといえば、ステロイド。

とにかく薬ってものが体が困ったら使うものだと思っていた。

そして、お母さんにいつもあんたは体が弱いと言われていた。

小さい時から共存生活が苦手で学校が嫌で毎日お腹を壊して
病院では、
「自律神経失調症」と言われ。

幼稚園の時は、大きい大学病院の心療内科へ通わされていた。

それはまあへんてこりんな子供だったらしい。
今で言う発達障害だったのかもね。

お母さんにとってはわたしは悩みの種。
いつも病院へ連れて行かされる。

でも信じてた。
治るんだった。

でも17歳の夏。
腰が痛くて痛くて整形に行ったらそこの病院のトイレで倒れてそのままストレッチャーで歩道を渡り、隣の市民病院へ搬送。

恥ずかしかった〜〜〜。

そして下された診断が即入院。

え!!!え〜〜〜。

点滴をしたら、高熱は速攻治る。
でも薬が切れたら体の底から北極に放り出されたぐらいブルブル震えて死ぬんじゃないかと思うぐらい歯もガタガタ。

頭はガンガンして
吐いて吐いて
胃液が緑になり、血になった。

早く薬をちょうだい!!!って。

まるで薬物依存症の人みたいな。
辛かった。
今でも覚えている。

病院のベッドの上で何度も何度もお願いした。

神様がいるならお金持ちになりたいとか幸せになりたいとか言いません。

健康になれたら、自分で稼いで、自分で幸せになるから。
どうか健康を私にください。って。

その時も医者もお母さんもただ薬物治療のことしか言ってくれなかった。

生活をこう言うふうに治せとか。
言ってくれなかった。
17歳の多感な時期に病気の根源なんて調べようとか思わない。

薬ぶっ続けで体に入れられて、熱は下がったんだから。

そしてまた生活を改めることもなく生きて18歳の時。
場所はロンドン。
また同じ痛みを感じてまたもや高熱が出た。

死にものぐるいで、ロンドンバスを乗り継いで病院に行った。

入院できると思ってた。
そしたら、熱ぐらいで入院できないし、検査するなら、

なんやらの検査が数万円で
なんやらの検査が数十万でと

金額の提示から始まった。

へ????
朦朧としながら聞いた気がする。
点滴も何万円もした気がする。
お金そんな持ってない。。。

受付の人に近所に日本食が売ってる店があるからそこへいって食べ物買っておうちに帰れと言われた。

そん時にう〜〜う〜〜いうて家で寝ていたら、大家さんがやってきて

出入りが自由だったからね。

私の様子を見てこれは大変だと温かいお茶を持ってきてくれた。

これがわたしの人生初めての、ハーブティー。

すごく美味しかった。

庭で育てているハーブを摘んで煮出してくれた。

え???アーブ???
アーブティ??

スペルを書いてもらって辞書で元気になってからひいた。

薬草。。。
薬の草??
なんじゃそりゃ。

そして、ロンドンではマルシェに手作りした石鹸やらクリームやら
売ってる人がたくさんいて。

その時は単純に、おしゃれだわ〜〜って思ってた。

でもふわっと認識してて、のちにあれがそれか!!ってなるんだけどね。

そしてアロマオイルもロンドンで知ったこと。

日本でそんなもんに触れたことがなかった。
存在すら知らない。

でも、アロマセラピーというのをみんなやっていた。

香水かと思ってたけどあれはアロマだったんだと日本に帰ってから知る。

日本帰ってきて、図書館へ行った。

ハーブ、ハーブ、ハーブ。

そしてハーブの本を見つけてたら
アロマ、つまり精油の説明があって
あ!!!これは。
そうか。。。
と繋がった。

そして、ハーブ療法、アロマ療法を読み解いていくうちに

あれ???薬ってなに??
ってなった。

風邪をひいたらこの植物。
体が傷ついたらこの植物。
肝臓にはこれがいい。
腎臓にはこの植物。
免疫を上げるにはこの植物。

なに!!!!
ハーブ。
薬草。。
紀元前???
昔の人は、薬なんてなかった。
当たり前だけどそうか。
え???全部植物??

ん???肌を潤わす??
自分で化粧水を作る??
植物オイル??保湿??
え???汚れを落とす、石鹸??

は〜〜〜??
え?私の使ってる
シャンプーって何でできてるん??
歯磨き粉って何でできてるん??
私の着てる服って何の素材???
え??化粧品ってなにでできてるん??

え〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!

え??化学物質って何??
化学物質???
え?石油??は??
口紅とアスファルト同じ原料??
日焼け止め塗ったら
肌が呼吸しない??

経皮毒???なんじゃそりゃ??
シャンプーが卵管までいく??
は???

食品添加物??
なに??白砂糖はドラッグ??

もう調べれば調べるほど出てくる出てくる。
はてなだらけ。
パニックになったよね〜〜〜。

知らんよ、普通に生きてきてそんなこと。

化学薬品、添加物の毒性辞書を手に自分の家にある
すべての化学物質でできている生活用品、化粧品、衣類

すべて処分した。

残ったのは
綿100%の衣類のみ。

え?生きていけない。
明日から。
どうやって生活していくのか。

当時はスマフォもなければ、インターネットもそんな使いこなせない時代。
図書館行くぐらいだからね。

そして、ハーブやらアロマの本に原料屋の情報があった。

これはもう作るしかない。

これがわたしが石鹸やスキンケア薬草茶を作り出したきっかけ。

これがまさかわたしの天職になるなんて思ってもなかった。

chitree という名前の由来


石鹸やら、スキンケアやら作っていたら、当時お寺の広場で
手作り市っていうのをやっていて、その人らに、出店しないかと
誘われた。

え??売るの?
売れるかな。
やってみようかな。

それで、出店する際に

店の名前は何?
と聞かれた。

あ、店だたら名前がいるのか。

自分の店の名前。。。。

わたしはロンドンではちづるという発音は外人には難しから

「づる」を取って、「チー」と呼ばれた。

私の店。chi。

そして、私が一番最初に出会った植物が、ティーツリー。

teatree。。。。
chiのtree。
チーの木。
chitree.。

今思い出しても
天才だと思う。
あの時は商売とか経営とか全然無知だったから、ネーミングの大事さをその時は知らなかった。

誰とも被らない。
chitreeなんて単語存在しない。
私の作った造語だから。

私の好きな絵本に「大きな木」というのがあって主人公と木のお話なんだけどね。

私の木を見て素通りしたっっていい。
雨が降ったら木陰で雨宿りすればいいし、実がなったら食べればいい。

そういう存在になりたい。
押し付けない。
でもそこに確実にある。

名前が決まった。
chitree。
チーツリー。
チーの木。
おちづの木。

そうやってこのchitreeは誕生しました。

次は、開店から15年以上が経って、今のchitreeをどんな想いで続けているのか。
そんな、今のchitree organicについて書いたから、よかったら次もみてみてね。

おちづ

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