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身の程を知っておく

病院へ行って
わざわざ検査する必要がない。

自分の体のこと。

自分の体というものは
痛みが出ないと
まあわからないけど
今日は脳や神経について
自分のことを
書いておきたいと思う。

世の中の人は
聞いてると
本当に生きにくそうに
生きている。

それはなんでかというと
自分が普通でありたいと
そう思って
そこからずれる自分が
どうしてずれているのか
ずれていってるのか
わからず苦しんでいる。

でも、私からしたら
「普通」って何だろうと思う。

東北大震災の時に
テレビに金子みすゞの
みんなちがってみんないいっていう
ことをずっと放映し続けていた日本。

でも、実際は違う。
みんな同じで
代表がこれということを
意見も言えず、ただ賛同する。
という精神を植え付けていくのが
日本の教育で
今も昔もさほど変わらない。


私は小さい時から
みんながやってることを
一緒にするとかいうことができなかった。

できない子。

みんなと同じことができない子。

なんで一緒にできないの?
大人はそういう。

でも、わたしは
その時それをやりたくないのに
なぜしないとならなのか
なぜ強制されるのか
わからんかった。

ずーーーと、そう。

保育園、幼稚園、
小学校、中学校
ずーーーーーと。
ずーーーーと、そう。

同じじゃないといけない。

多数決も好きじゃなかった。
お外に行きたい人?
それとも中でお絵かきがしたい人?って
どっちか選ばされる。
しかも多いほうに決定権がある。

どっちがいいか聞いたやん。
どっちでもええやん。
やりたい方やりゃええやん。
なんで、どっちかなん?って。
ほな聞くなよって。
幼稚園の時から思ってた。

小学校になって
みんなと同じランドセルが嫌だった。
なんで赤じゃないとだめなん?
みんなが持ってる筆箱が嫌だった。

自分で生地を選んで
お父さんの妹が裁縫のプロだったので
お願いして自分だけのペンケースを
作ってもらった。

中学校になって
みんなと同じ自転車が嫌で
昔の郵便屋さんの自転車がどうしても欲しくて
それを買ってもらって
その自転車にクリーム色にペンキで
塗りなおし、
その上からピンクと水色の
水玉を塗った。

高校生はみんなと同じ
制服をお着ないといけないのも嫌で
何度も先生に追いかけられて捕まえられて
叱られても
制服のブレザーを結局一回も着て行かなかったし
自転車も当時ばばちゃりが主流だったけど
私はストリート競技用のBMXに乗って
通った。

髪の色もみんなと同じが嫌で
紫にしていたし、髪の毛先にビーズを
つけてた時期もある。

とにかく、人と同じ格好が
嫌だった。


みんなと同じことが
無意識に
小ちゃい解からできなかったわたしを
おかんはものすごく心配しだったのか
徳島の大学病院の精神科へ
小さい私を連れて行ってたことを
大人になって思い出す。

あれ?あれはなんやったんや?と
私どっか悪かったん?tって。

でも診察は、
点から点に線が描けるかとか
ちゃんと色を使ってぬりえができるかとか
つみきで先生と遊んだりと
そんな記憶。

大人になって、あ、
あれは発達検査だったのかなと
思う。

わたしは変だ。
みんなと同じことが
したくない。
どうしてもしたくない。

目立ちたいとかそういうことじゃない。

でも大人になって
それがなんでか分析すると
みんなと同じことがしたくないんじゃなくて
みんなができないことを
したかっただけなんだって
そう思う。

小さい時に髪の毛を
ピンクにしたくて
絵具で髪の毛を塗って
怒られたこともある。

妖精になって空を飛べると思って
いろんな色紙を小さく切って
外で自分に振りかけて
アスファルトを紙だらけにして
めっちゃ怒られたこともある。

スカートの為が気に入らなくて
自分でハサミで切って
怒られたこともある。

小学校の時に
自分で物語を書いて
挿絵を描いて
自分の空想妄想を
本にするのが好きだった。

ドッチボールや鬼ごっこ
ゴム飛びや
ビックリマンチョコに
はまってる同級生のことが
嫌いだった。

もちろん、いじめられた。

入学式初日から
いじめがスタート。

同級生からもいじめられたし
近所の上級生にも
学校の行き帰り追いかえられて
必死で走って家まで帰ってたし
2年生の時は
学校の帰りに車道へ突き飛ばされて
ひじに大けがをした。
今もその傷は残ってる。

ずっと変な子。

今も変わらない。

朝、学校へ行くのが嫌になったのもあるし
あの時代に
こんな私が生き抜ける居場所も
理解してくれる大人は誰もいなかった。

それがきっかけなのかは
わからないけど
この歳になっても
朝起きるのがすごく辛い。

どんなに早く寝ても
起きることが身体をぎゅーーーーって
締め付ける。

この歳になっても変わらない。
朝、自分に鞭を打って
たたき起こしてる。
大人になった今は。
でも、本当に無理な日もあって
そういう日は
ひろしに甘えさせてもらってる。

今はこんな人のことを
「起立性調整障害」という。

なにがきっかけか
原因かは不明らしい。

でも、私のこの症状は
この起立性調整障害に
当てはまる。

自分自身が辛いこと。
だって、起きられない。

これをただ
だらだら自堕落にしてるとか
そういう風に思われ続けられた。
自分もそう思って
悲しい時もあった。
今でも親はわかってない。
別に今更いう気もないけど
今は自分が何で苦しんでるのか
わかってるから
ちゃんとひろしには
伝えていて
彼も理解はしてくれているけど
病気とは真剣に思ってはないと
思う。

たまになんで朝ちゃんと
起きれんのだろう
なんでいつまででも寝れるんだろうって
思っているかもしれない。
それはわからない。

でも伝えてる。
わたしは好きで寝てるんじゃない。
身体も心も起き上がれないんだって。

私にだって原因も理由も
わからない。


そして、いろんなことを
自分がやりたいことを
思いのままにやりたいこの
風変わりな性格は
どうやら

「脳内多動性発達障害」と
いうらしい。

これにしたって
自分ではどうしようもないこと。
原因もわかっらない。

すべて病気のせいにしてしまえば
簡単よな、。
なんて言われるかもしれん。


だからなんだ?って
思うけど。
でも、こんな精神科的な
不具合を
並べて、この病気かなって
って。
それってひどいって思うかもしれないけど
本人にしてみたら
自分で自分が理解できないんやから
あ~なるほど
そういうことだったんかと
楽になる。

別に精神病人になりたいわけじゃないけど
自分が
何で苦しんでいるのか
どうしたら楽になるのか
それがわかれば
すごく生きやすい。

ただの変人でじゃない。

こういう精神的なことも
子供は遺伝する。

わたしは
次男が
発達障害と言われて
彼の特徴と特性を
知ろうとすればするほど
すべて自分に当てはまって
気が付いた。

あ、そっか。
だからしんどかった。って。


今、この43年の人生で
いろんなことを学んで
知識として知っていく中で
自分はこうじゃないと
否定せず
自分を自分が一番最初に受け入れることが
大事だと思ってる。

これは小さい時は
私自身はできなかったけど。

うちの子は普通です。
障害じゃないという。

障害ってすごく嫌な言葉。
だって本人は障害だと感じてない。

でも、世の中は普通を求める。
女の子はお人形が好きで
音の子はピンクじゃなくて青だし
小学校5年生はこれぐらいできてないとだめだし
母親なんだから子供を育てれて当然って。

周りが決めるルール。

わたしは
3人も産んで、お母さんだけど
朝起きれないときあるし
家がひっちゃかめっちゃかでも
片付けできない時がある。

43歳の大人なのに
我慢したり辛抱したりできない。


苦手なことをしっかり把握してる。
できることよりも
できないことを
パートナーであるひろしと
子供たちに共有してる。

いっそ、できないのに
無理をすると
その無理をしたことで
もっともっと迷惑をかけてしまうから。

じぶんはなにを無理すると
身体に支障をきたすか。

治したいけど、治らない。
でも隠さない。

わたしは43歳で大人なのに
お母さんなのに
できないことがいっぱいある。

でもみんなと一緒のことが
したくないこととか
あっちもこっちも興味が割りて
いろいろ後先考えずに手を出してしまう
この性格が
生み出した人生も
悪くないもんだと
43歳で気づいた。

だから自分の子供が
ほかの子と比べて
同じことができなくても
同じ成長が見えなくても
将来を心配しない。

この子はきっとこうなるだろうという
予測ができる子どもではない
気質の子供たちは
私の遺伝子をしっかり引き継いで
予測不可能の
将来をきっとつかむんだと思って
すごくわくわくする毎日。

子供を、社会のメジャーではからずに
やってることをひとつずつ
関心を持って
ええやんええやん
やりたかったら失敗してもええから
どんどんやってみな。
応援する。って
そんな親でおれる。

それも自分が
小さい時から抱いていた
「なんでみんなと
おなじことせなあかんの?」って。

せんでよかった。
誰の言いなりにもならんかった。
するなといわれても
した自分でおり続けられた
自分の根性に乾杯。

自分のことは自分で
わかってやれる自分でいたい。

でも、大人になった今は
ちゃんと一緒に過ごす家族のために
きちんと
自分のマニュアルはきちんと
説明する。
それが共存するってこと。

共存は合わせることではない。

みんなちがってみんないい。
やろ?って。

でも世の中は
まだまだみんな違ってみんなよくない。

だからこそ
身の程を自分で知っとく。

なにがしんどくて
何が辛くて
何が苦手で
できんのか。

でも、できないことで
人とは違う才能を
ぶっぱなせる。

だから、潰してはいけない。
子供たちのできないにフォーカスせず
できあいことでの
違う才能を伸ばしてやろうと思う。

そして自分も
やれない、やりたくないから
こそ
違うことをする自分の可能性を
もっともっと自分で
導いていきたい。


私は変だ。
でもそれでいい。


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