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まだ40年も残っとる

ジブリのハウルの
サリマン先生の所へ
年寄りにされたソフィーが
荒れ地の魔女と
階段を上るシーンがある。

そんなシーンを思い出した。

最寄りのバス停から
我が家までは
いきなりぐっと上り坂が
3段階ある。

若い子でも、へとへとになるほど。

ここら辺に住む
子供からお年寄りまでの
足腰ってこの坂で
鍛え養われる。

この前、すみれと
バス停から歩いてる時に
この急斜面の坂を
のっそのそと歩いて登ってる
老女と一緒になった。

「今日は風があるから。」と
老女。

初めて会うお方。

「何歳ですか?」

わたしは、興味のある人にしか
この質問はしない。

「84歳。」と。

すげぇ。
84歳。

下手すりゃ死んでるし
もっと下手すりゃ呆けて施設の
年齢。

歩いて登って
そして耳が聞こえて
脳がちゃんと質問に対して
返答している。

これだけで、もうリスペクト対象。

40代な自分の周りって
30代から40代、50代の
女性がほとんど。
当たり前やけど。

彼女たちは、
いかに若く見られたいか
ということに
ものすごい労力と
お金をつぎ込んでいる。

見た目って大事なんやけどね。
誰でも綺麗で若々しいのがええ。

鏡見てぶっさいくやな~~って
いつも思う。
でも今更って感じで
小さい時から
あ~~なんでこんな不細工なんって
結構落ち込んだ時代もあったけど
ブスも慣れたら空気みたいな感じになる。
不思議じゃ。

今の時代って
便利な世の中になりすぎてるのか
若い子も
肌に栄養が行き届いてなて
顔色悪いし
姿勢も悪いし、筋肉もないから
若いってええな~~なんて
思える子がなかなかおれへんし
30代40代も
みんな疲れてるのに
美容だけはなんとかしようとして
お金かけてんな~って
話はよく聞く。

70歳以上なんて
世の中からしたら
棺桶に脚突っ込んでる老婆って
イメージなのにもかかわらず
むしろかっけ~~~~って
もう憧れの対象な
生き様の婆たちに
最近よく出逢う。

今までいたんだろうけど
そんな風に思わなかったって
のもあるけど。

私の興味が
美容で若く見られたいということより
足腰が丈夫なことを維持することを
どうしたらええんかということ。

チャリも歩くことも
階段も
めんどくさいと思ってる。
そんな人がめっちゃおる。

わたしはありがたいことに
忙しい。
仕事もマックス、家事もマックス
子供の世話もマックス。

運動をしたいのに
どこにもその時間がない。
だからってなにもしないじゃ
老後、どうなってんだか・・。

40代で、20mダッシュしたら
ぜえぜえが止まらない。

まずい。。。。

でも運動できん。


せっかくこんなええ具合の
山の中に家があって
ええ具合に登山レベル。

時間のロスは勿体ないから
徒歩15分以上かかる場所は
チャリ。
それ以外は徒歩。
階段あったらラッキー。

大変って、誰に言っても
言われる朝と夕方の
4往復の幼稚園のバス停までの
チャリ送迎、雨ならバス&徒歩。

幼稚園バスのお母さんのひとりに
自転車を買おうか悩んでると
言われて
なんでか聞いたら
乗るかな~、使うかな~
結構チャリ大変よね~って。

おいおい、30代だろうが。と。
今、歩くんだるい、
チャリしんどい。って
言うとったら
60代でもう杖必須か
下手すりゃ車いす。
しかも脚使わんようになったら
神経伝達がなくなって
脳もやられて、認知も早いで。って。

脅しちゃう。
ほんまのこと。
人間って面白い。

子供にはだし教育だの
老人にウォーキングだの言うとる。
あれはちゃんとした臨床結果があって
骨に刺激が与えられなくなったら
脳も動かなくなる。

重度の障害を持つ従妹の
闘病生活を小さい時から見てきたから
わかる。
生まれつき歩行できなかった。
だから、脚をマッサージしたりして
刺激を与えてた。

歩けるんやん、漕げるし
走れるし、階段登れるし。
なんで。
もったいないやんって
思う。

私は目が光が差し込むと
なにも見えなくなるけど
明るいところに出ても
見える人たちが
引きこもって日を浴びないのんて
その光が大丈夫な目と
交換してくれって
心から願うことがある。

使ってないならくれよって。

歩けない人もそう思ってると思う。

なんで健康なのに
若いのにって。

老女たちも同じだろう。
走りたいけど走りはできない。
けど杖を突いてでも歩く。

家の周りの家の人たちは
この山の中の
駅前付近じゃない、平地でもない
この場所を愛して住み続けてる
人達ばかり。

84歳のマダムも
「この山に住んでるからね
足腰だけはまだまだくたびれんよ。」って

わたしは
声を出して
「むっちゃかっこええ。
最高。尊敬します。」と
彼女に伝えた。

84歳まであと40年もあるやん。

40年やで。

40年あと、40年。
歩いてられるやろうか?
自分の歯で食べ物咀嚼できてる?

昨日友達と
話してた。

仕事はしとるほうがええ。
社会とつながっとるほうが
生きてるって感じするって。
言うとった。

わたしは違う。
わたしは社会に触れてることで
脳を健康維持しとくことが
できると判断した。
ついこの間やけど。

説明したり
会話したりって
脳トレというか
脳にも筋肉があるとすれば
維持するために
脳を使うのは必須。

わたしは、自分のおかんみたいに
友達がとっかえひっかえ
家に毎日喋り倒しにくる
現在も未来もない。

やからこそ、社会に
出んとと思ってん。と
友達に言った。


日差しは毎日しっかり浴びる。
洗濯干したり
買い出し行ったり、通勤したり。

そんで、歩く、漕ぐ、上り下り。
たまに走る。

家事の段取りも仕事の
段取りもする。
新しい曲を覚える、ピアノでね。
頭使うし手も動かす。

子供や旦那と
いっぱい話す。
お客さんや
出先で知らん人とも
会話する。

生きるってそういうこと。

嫌がったらあかんって
思った。
めんどくさがったら
あかんのよ。

全部、自分が
元気でおれる
ラッキーなこと。

30、40代で
歩くのめんどくさがって
80歳どうすんねん。って。


ほんまやったら
若い人が
ええな~って
羨ましい対象なはずなのに。
全然、最近の人魅力ない。
興味わけへん。

え??なんでそんな魔女年齢で
そんなことできとん~~~~~!!って
なる。

わたしのピアノの先生は
ものすごい上手にしわしわの
両手でものすごい難しい曲を
さら~~と弾く。
すみれのバレエの先生も
脚が頭までぽーんてついて
何回転もできる。
前の家に住むマダムも
エッジのきいたトークを
私にかましてくるぐらい
脳みそがぴんぴんしとる。

うちのおかんも
友達も
ぼけてつっこんで
げらげら笑ろうて
信じられへんぐらい
エネルギーが強いし
うちのおとんは
スポーツカー乗り回しとる。

あと30年後、40年後、50年後
そないに元気で
自分楽しく生きとれるん
やろうかって
そっちにしか興味が
わかん今日この頃。

しかし、我が家付近の山の中には
魔女がいっぱいおるな~~。

80代に
負けとれるわけないやん。

って、
自分の脂肪だらけの
筋力の落ちたボディーに
突っ込みながら
つま先立ちしてみたり
スクワットしたり。

時間割いて
いろんなエクササイズの
スクールにも
通ってみたけど、
そん時だけしたとて
って
思った。

流行ってるけどね。
でも、商売人の脳みそが
邪魔をして
続けられない。

「結局そこか。」と
なる。

日々する。
でもできない。
だから、生きる活動を
運動と捉えればいい。
そういうこと。


徳島にいたころ、
こっちへ引っ越してきた1年ぐらいは
ほんまに
めんどくさかった。
みんなと一緒。
車が便利。
ドアtoドアが良かった。

けど今は違う。

この山の生活のおかげで
考えがちゃんと切り替えれて
良かった。
40代ぎりぎりセーフ。

この考えが普通になって
通常化してきたら
これぐらい歩けるっていうレベルで
周りには
え?歩くの?とか
言われて、え?ってなる。

そっか。
そうじゃないのか。

徒歩15分以内なら
全然オッケー。

20分でも歩けるけどね。
自分の貴重な時間の
値段を考えると
15分。

しわがあっても
しみがあっても
たるんでてても
生きることに支障ないけど
歩けない、食べれない
動けないは
最も避けたいね~~~~。

よっしゃ!!
今日も太陽浴びて
全身動かして生きる。

命r限り、ぎりぎりまで
自活したい。
これがわしの目標。

そうでありたい。
みんな言うけどね。

ちゃんと呆けるし
ちゃんと歩けんくなるし。
ちゃんと栄養も取れなくなるし
ちゃんと排泄もできなくなる。
そして
ちゃんと死ぬ。

だから、ナウ。
なんよ。



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