海とは、そこまで縁の深い間柄にあるようには思わない。生まれ育ったのは海無し県であったし、実際に浸かったことも二度しかない。


 初めて海水というものに触れたのは小学生の時。何年生の頃だったかは忘れてしまったけれど、多分低学年だったと思う。その頃は毎年、海辺に建つ水族館に祖父母と母と弟と私とで行くのが恒例行事になっていて、けれどそれまで一度も浜に足を踏み入れたことはなかった。というのも、母が海を大層怖がるのだ。なんでも水平線が恐ろしくてかなわないらしい。ところがある年、気が向いたのか何なのか、ともかく私は母と弟と共に浜辺を歩くことになった。サンダルで浜を進むと足はすぐに砂だらけになった。海へ入れば、その砂は濡れて指の間の至る所に張り付いた。空は灰色で海は鈍く、ぬるくも、感動するほど冷たくもなかった。潮風が髪を荒らして去った。こんなものか、というのが私のおおよその感想であった。水着も持っておらず、時期でもなかったので、皆黙って近くに設置されたホースで脚を洗い、家に帰った。

 二度目はオーストラリアへ留学に行った時だ。ホストファミリーと行ったキャンプ場は海のすぐ傍で、キャンプに同行したホストファミリーの親戚の中でも歳の近かった子たちと一緒に遊びに出かけた。冬だというのに陽はよく照って、海は心地好い涼しさをもたらしてくれた。私はまくったジーンズの裾が濡れるのも気にせず彼らと遊んだ。生まれて初めて自らの手で貝を拾い、それを綺麗に洗ってポケットへ入れた。ステイ最終日には、ホストブラザーが集めたお気に入りの貝をいくつかプレゼントしてくれた。初めて海で遊んだ時よりずっと良い思い出ができたように思うが、しかしそれだけであった。ただの、よくある海の思い出であった。


 私と海との間には、特別深い縁はなかった。


 何となく、何となく、海には惹かれるものがある。不思議なことに、遠い憧れのような、幼少期への懐かしさのようなものを抱いている。思いを馳せれば、私にも何か胸のちくちくと痛む思い出のあるような、そんな気さえしてくる。それが何故なのかはわからない。私は海と無関係でもなく、深く関係するでもない人生を送ってきた。好きでもない、嫌いでもない。ただ惹かれる。この感覚は私だけの持つものなのだろうか。それとも普遍的に存在する、生物の本能の側面なのだろうか。それすらわからない。ただこの気持ちを、今夜ふと思い出して文字にしてみた。それだけの、特に意味の無いお話である。

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観測する夢遊性寛容生物が言葉を得た姿。
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