落し物

 去年の六月のこと、私はバイト先の書店にいた。夜の七時半頃であったか、その日はお客さんも少なく、私はレジを離れて本棚の整理をすることになった。私はこの仕事が好きであった。棚の、普通なら見落としてしまうようなところまで確認するため、まだ見ぬ素敵な本に出会えることがあるからだ。
 出版社ごとにわけられた文庫の棚をこちらからあちらへ。折り返してはあちらからそちらへ。帯やカバーを整えたり、薄く積もった埃をはたいたり。巻数を揃えて背を並べて。こちらからあちらへ。あちらからそちらへ。

 ある棚の前で、私は誰かがこぼした恋の切なさを拾ってしまった。それは丁度、花曇りの夜の桜のような色をしていた。季節外れの切なさだった。私にはそれが恐らく十六、七の少女のものであろうことしかわからず、持ち主に返す訳にも、拾得物の表に記す訳にもいかなかったので、取り敢えず二三味わって、それからそっとしまっておくことにした。

 バイトが終わって、さてどうしたものか考えようと取り出した時には、それはもう溶けて消えていた。熱した針のようであり、砂糖菓子のようでもあるこれを、きっと彼女は後生大事に胸に抱えて書棚を眺めていたのだろう。
 まったく儚いものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?