区切り

 その声は、今まで聞いたどの声よりも軽く清々しかった。最初に浮かび上がってきたのは、「嫌だよ」でも「おめでとう」でも「頑張ったね」でもなくて、ただとてつもなく大きい無力感だった。私はそれに、何よりも重い決意を直観してしまったから。目の前の人間が自分ではどう頑張っても届かない所へ行ってしまったような気がして、その感覚が現実になるのは明日かも、明後日かもしれなかった。不思議と怒りは湧いてこなかった。その人間にも、選択にも、そうさせた環境にも。ミルクパズルの最後の一ピースをはめた時のように全てがあるべく収まってしまっていた。そこに他のピースをはめ込む余地はなかった。その人間の中の私と、今ここにいる私は完璧に分かたれてしまった。身体は勝手に熱を持って、どくどくと血液を回した。反対に頭は冴えていた。だから必死に考えた。何が駄目で、どうすれば解決するのか。何度試算しても、着地点は変わらなかった。私はただ無力だった。それは数少ない私の取り柄で、できる全てだった筈なのに。宇宙が落ちてきて、地に沈められてしまったように感じた。そうだ、それは言葉にしようもない無力感だった。その人間は目を閉じて、もう一度開いた。ただのまばたきだった。長いまばたきだった。私は何を口にすれば良いのかわからなかった。何も言えないまま自分のことばかり考えている自分に腹が立った。腹が立って、絶望すらしきれていない自分に更に腹が立った。そろそろ返事をしないと怒るだろうか。悲しむだろうか。また腹が立った。それもつまるところは私のことであった。或いは、受け入れることで過去になってしまうことが怖かったのかもしれない。結局は、そのうちに取り留めのない話を二三して、その場を後にした。
 その人間が再び私の元へ現れたのは、それから二週間後のことだった。身勝手さだけは変わっていなかった。

 それは私がこの生き方を選んだより後のことで、さてどれだけの影響があったかはもう知れません。あの声の軽さも、あの足取りの軽さも、最早そういうものとして認識するようになってしまいました。あの選択も一つの権利だと、変わらずに思っています。これは私の性質なのか、やはり後悔もすることはありませんでした。ただ二度と同じ轍は踏まないと決意しました。
 これを言葉にした理由は大まかに二つあります。まず、この時の感覚を掲げ続けていては本末転倒になってしまう可能性があり、その危うさを改めて自身に刻みつけたいと思ったため。次に、いつまでも過去のある女を気取って、今誰かに届くかもしれない言葉を紡がないのは性にあわないと感じたため。随分と伝わりにくい文章だったと思いますけれど、必要な人間にはきっとわかることでしょう。私が私であったように、あなたがあなたであれますように。そしてもし、この言葉がその一助になったなら幸いです。あまりにも寒い秋です。どうかお身体にお気を付けて。

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