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「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~

一般の方のためにまず説明しますと、「ケーススーパーバイズ(ケーススーパービジョン)」とは、カウンセラーが、自分のクライエントさんとのカウンセリングの過程について助言を受けるために、経験豊かなカウンセラーに、一定の時間と時刻を決めて、一定料金を払い、多くの場合、ある程度継続的・定期的に相談することをいいます。

これに対して、カウンセラーがますは自己修養するために、自分の流派の先達をカウンセラーとして、実際に「本物の心理療法」をみっちり継続的に受けることを「教育分析(教育カウンセリング)」といいます。

日本では、この「スーパーバイズ」と「教育分析」ということがごっちゃになされていることがまだ少なくなく、クライエントさんとの関わり方について助言を受けに来たカウンセラーが、

「このクライエントさんとうまく行かないのは自分の性格にまだ未熟なところがあるためだ」

という「自虐的」モード(!)にはまりやすいのですが、

私は「スーパーバイズ」と「教育分析」は、本来、別人の先達に、切り離して受けるのが正しいという考え方に立っています。

だって、(少し厳しいことを言うようですが)プロって、結果がすべて、「自分の性格がまだ至らないからだ」といくら弁解しても、言い訳にならないでしょ? 

「スーパーバイズ」とは、あくまでも、すでにプロの(あるいは、プロになりつつある)カウンセラーが、自分のカウンセリングの技量を磨くための場です

その一方、「教育分析」は、本当に情け容赦なく自分が「クライエントになって」自分を見つめなおすことです。

カウンセリング技量の向上と、カウンセラーの人格的成熟、この二つには、当然切り離しえない側面もあります。しかし、どちらが主で、どちらが「背後で暗黙のうちに結果的に伸びていくこと」なのかは、はっきり区別する「別の設定」がある方が生産的と思います。

もっとも、教育分析家とスーパーバイザーの考え方があまりに異質だと、若いカウンセラーの皆さんは混乱するだけになるとは思いますから、そのあたりは先輩や指導教授と話し合って決めるのがいいかもしれませんね。

「ケーススーパーバイズ」が先で、「教育分析」は後から始めるのでも、何も問題ないと思いますよ。「完璧に成熟した、性格的欠点のない人」なんてこの世に居ませんから、改めて自己修養の必要を感じた時点で「教育分析」を始めるのでも一向構わないと思います。

ついでにいいますと、「スーパーバイズ」も、「教育分析」も、大学の自分の直接の指導教授には受けないのが、正しいあり方です。社会的に直接の「上下関係」にあるもの同士では「本当の修行」になりません!! 時には別の流派の先達に教育分析やスーパーバイズを受ける方が効果的なこともあります。

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さて、助言を求められるカウンセラーは「スーパーバイザー」と呼ばれますが、特別にそのための資格があるわけではあません。敢えて言えば、助言を求めに来たカウンセラー(「スーパーバイジー」といいます)が「臨床心理士」なら、「スーパーバイザー」も「臨床心理士」でないと、臨床心理士としての資格更新(5年毎)のための研修「実績」と認定されない、というくらいでしょうか。

実は、私、開業の時に、開業の先輩に、

「スーパーバイザーになるには何か資格認定協会に特別な書類を出して選考を受ける必要があるんでしょうか?」

とお尋ねしたんですね。そしたら、

「特にない」

とあっさり言われて拍子抜けしました。

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次に、私がやっていた、実際のケーススーパーバイズ(ケーススーパービジョン)の手法を公開してしまう、ということをこれからやってみます。

幸いにして、というか、私にスーパーバイズを求めにこられた方は、若い方が多く、現場でのカウンセリングのケース量もまだそんなに多くない方が、多いです。そして、特定のケーズについて、せいぜい数回の面接の展開について助言を求められることが多い。

そこで、ここでは、そういう若いなりたてカウンセラーへの、クライエントさんとの面接回数がまだ少ない場合を前提に書いてみましょう。

ケースたくさんになると、ケーススーパーバイズや事例検討会のための、面接記録のまとめなおしそのものが、忙しい中、膨大な手間と労力がかかる作業になってしまうんですよね。

私はできればその種の「ケース提出者」になることはもうあまりやりたくないです(^^;)。

でも、まだ持ちケースが少ないうちに、特定の事例について細かくまとめなおし、検討する機会を持つことはたいへんな勉強になります。

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私は、基本的にはスーパーバイジー(助言を求めに来たカウンセラーさん)のニーズを伺い、それに沿った進め方を柔軟にとるつもりです、何なら、ケース記録のまとめなしで、口頭で、気になるケースについて思いつくままにお話になってもかまいません。

しかし、「スタイルは先生に任せます」と一任されたら、ケース記録を作って来れる方には、次のような要請をします。

1.クライエントさんの語ったことについてだけではなく、その時クライエントさんに、カウンセラーとしてのあなたがどう応答していたかも、要所要所でいいから、書いてきて欲しい。

.......よく、事例検討会や、学会の事例発表とかで、クライエントさんが言ったことばかりを延々と書き連ねて来る方が居ます。

あの~、カウンセラーとしての「あなた」は、「そこに-いた」わけでしょ? そして何らかの反応をしたわけでしょ? その結果としてクライエントさんの反応の展開がこうなった、という相互作用の過程全体を振り返る必要があると思うんですけど、といいたくなります。

中には、

「私はここでこのクライエントの治療者への負の『転移』感情について『解釈』した」

とだけ書いてあったりする。

あの~、その「転移感情の解釈」とやらを、どういうタイミングで、どういう言い方でしたんですか?

私は、面接場面全体が彷彿としてリアルに伝わってくるような事例提示が、「どんな流派でも」必要だと思っています。

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2.できれば、クライエントさんのやり取りのさなかにカウンセラー自身が感じていた漠然とした居心地や、色々な連想も、思い出せる範囲で書いてきてもらうと助かる。

(例えば、

「ここで私は、『しまった、動揺して、苦し紛れにこんなこと言ってる!』と感じていた」

とか、素朴な書き方で十分)

つまり、面接をしながらのカウンセラーの内面の「実況中継」も書いてきてもらうと助かるのです。

もちろん、それを訊いてみたくなったら、書いてきてもらってなくても、私は、スーパーバイズのその場で尋ねますが。

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次に実際のスーパーバイズの場で、スーパーバイジーのカウンセラーさんと、私がどんなやり取りを進めているか、です。

1.適当な、あまり長くはならない区切りで止めて、

「ここまでの部分で、あなた自身、この面接の展開を、今、どう思う?」

これに対して、例えば、

「この部分で自分がこんな言い方をしなくてもよかったかなと思います」とスーパーバイジーさんが言うのなら、

「じゃあ、どういう言い方をすれば、もっとよかったと思う?」

「うーん......」

とスーパーバイジーさんが考え込み、ためらいがちに自分なりのアイディアを見つけ、語りだすのを私はじっと待っています。

私も、自分の中で、「どんなふうに対処するのがもっとよかったか」を探して、見つけようとしていくのですが、スーパーバイジーさんより先にそれを告げることはしません。

不思議ですが、こういう、沈黙しながら共に考え、感じてみる時間を、スーパーバイジーさんと共にすると、スーパーバイジーさんは、決して、というのに近い確率で、「どうにも頓珍漢な」改良案とかは言い出しません。

それどころか、私が自分で考えていたのとはまったく別のアングルから、私も感心するくらいの新鮮な改定案を提示してくることもすくなくありません。最悪でも、”2nd choice"というか、「次善」の策、あるいは「害のない」案を出してきます。

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2.次に、そのスーパーバイジーさんなりのアイデアとその長所を具体的に感想として述べ、それについて多少やり取りをした後で、まるでおまけのように、

「あなたのもいいけど、私なら、例えば、こう言葉を返したかも」

と、私の考えていた答えを伝えます。

そして、

「でも、私のの方がいい、という意味ではない。面接にはカウンセラーその人のあり方に応じたいろんな対処があるし、どんなカウンセラーでも、一回の面接で、すべて最良の応答なんてできてないから」

とか、言い添えます。

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3.こんなことを、例えば、

「この部分で、クライエントさんはどんな気持ちでいたんだろうね?」

「この部分で、もっとよく対応できたと感じるのはどの部分?」

「この部分で、あなたが結構うまく対応できたと感じるとすれば、どの部分?」

「この部分では、何が面接の展開の鍵だったと思う?」

みたいなバリエーションで繰り返します。

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つまり、スーパーバイザーの私が「どうすればいいか」を教えるのではなく、可能な限り、スーパーバイジーのカウンセラーさん自身に、自分の面接を、丁寧に感じなおし、しかも自由な発想で振り返り、答えを見つけるように促すのです。

私はこれを

「スーパーバイジー・センタードのスーパーバイズ」

と呼んでいます。

このやり方は、そのカウンセラーの中に、早い段階から、

自分なりの「内なるスーパーバイザー」、

つまり、「カウンセラーとしての自分」と「クライエントさん」の面接の相互作用全体を「俯瞰」し、冷静に、しかし「両者」に思いやりをもちながら(!)見守る、「第3の目」を育成するための訓練のつもりです。

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最後に一言。若い臨床家に。

どれだけ経験を積んでも、謙虚に学び続け、自ら率先して、新たな刺激を受け続ける謙虚さを持ち続けることははもちろん大事なことです。さもなけければ「一人よがりの」カウンセラーになってしまいます。

しかし、何がクライエントさんのためになるのかを、試行錯誤しながらでいいから、クライエントさんと共に感じ、考えられるカウンセラーを目指してください。

指導教授や、スーパーバイザーに「気に入られる」かどうかを、クライエントさんを大事にすることより優先する段階からは、脱していくことも重要です。

そうでないと、あなたのクライエントさんは、カウンセラーである「あなた」に「気にいられ」たい、という「呪縛」を超えられず、ほんとうの、その人なりの成長を、あなたは援助できないでしょうから。

さもないと、あなたはそのクライエントさんがカウンセラーになるためのモデルしか提供できないことになるでしょう。そんな「ネズミ講的構造」にはめさせることばかり多いカウンセラーにはならないでくださいね!!

「先生のように、カウンセラーを目指すことにしました」

とあまりに多くのクライエントさんに言わせ始めたら、あなたはプロじゃない。

「カウンセラーになりたい」なんて言い出すのは、100人に一人の変わり者でいいんですよ(^^)

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