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占いや開運グッズにこだわることの長所と短所

占いや開運グッズに凝り出したり、オカルトに関心を持つようになった人は、得てしてそれを家族や他人にも勧誘し、押し付けようとします。中にはマルチ商法に巻き込まれているケースもあるわけです。

こうしたマルチ商法に引っかかった場合には、科学的根拠のない商品を、時として深刻な身体の病気に関わることまで盲信して使ってしまい、人にも勧めてしまう場合もあることは大きな問題です。

縁起をかつぐこと、開運グッズに凝ることを、自分の運ばかりを信じ、努力をしないと批判する向きもあるでしょう。しかし、そもそも努力しさえすれば自分の人生が開けるという信念にとりつかれているのもどうかと思います。それもまた、ひとつの「宗教」に過ぎないという見方もできるかと思います。

自分の人生の現状は、さまざまの運やめぐり合わせなど、自分ではコントロールできないものによって成り立っているという側面も、確かにあると思います。

もとより、様々な社会的・家族的な問題を、運のせいにしてしまうというのは問題もあるかと思いますが、そうしたことを考慮に入れても、人生には、努力や才能や財力だけでは決定づけられない要素があることを否定できないという人は少なくないと思います。

現代では、占いの結果や縁起物の購入などによって、実際の自分の運命が予め決められているとか、変えることができるとは思えない人も多いでしょうが、いい運勢と出たことによって元気を出す人もあるでしょうし、悪い運勢が出れば、そのぶん気をつけてものごとを行なう人もいるでしょう。

多くの人は、そのような心持ちでおみくじなどを理解しているでしょうし、良心的な、害のない占い師は、そうした勘所をわきまえているものだと思います。

年中行事で厄を払うために特別な品を買ったり、捧げたり、行事に参加することは、たまったストレスを浄化し、心機一転する効果もあるでしょう。 

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ただ、敢えて言いたいのは、運勢や縁起ものにこだわる人の中には、人とのつながりを感じられない、孤独な人も結構含まれているのではないかということです。

こういう人は「運命の人」と出会ったと感じると、その人のことを盲信しようとし、仮に様々な疑念を感じたり、ひどいことを言われたり、強制されたりしても、押し殺して屈従してしまう場合もあるのではないかと思います。

DVや、金の無心を繰り返しされる場合が典型でしょう。完全に洗脳状態にはまりこんでしまうのですね。何をされても、自分が悪いのだと思いこんでしまうようになります。相手が謝ってきたら、それですぐ許してしまう。でもしばらく経てば、同じことの繰り返しになるわけです。

相手に対して感じた違和感は、それが言葉でうまく説明できないものであったとしても大事にし、その相手に直接問いただすことはできなくても、だれか信頼できそうな人にまずはうち明けてみるだけでも大事かもしれません。

時には、そうした問題に詳しい弁護士などを含む専門家に相談するほうがいいケースもあるでしょう。

もちろん、いい出会いに恵まれるケースもあるでしょう。

ところが、不幸な生い立ちをしていると、相手を信頼できなくて邪推して、すぐに疑ってしまい、それが妄想の域に到達してしまう場合もあります。

全然浮気などしていないし、しそうもない配偶者が浮気しているものだと思いこむ場合もあります。これを「嫉妬妄想」といいます。

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