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「いつどこで役に立つか分からない」という言葉
深井らが主力事業としてつくり込んでいる世界史のデータベースは、まさに、いつ、どのような形で収益を生むかはわからない。
しかし、例えば東日本大震災や新型コロナウイルスといった誰もが予想していなかったことや、新たな地域で貧富の差が発生したとき、世界史のデータベースを利用して、歴史に学ぶことで対応策を考えることができる。だからこそ、データベースそのものには価値があり、それを現時点で特定のターゲットに絞ったサービスにするのはナンセンス。これが深井の主張だ。
「仮に経営陣の意思決定に必要な歴史のデータを出しますというサービスをつくるとすると、インターフェースが全部経営者向けになっていきます。でも、僕たちは、地図情報や過去の人間の行動なども含めた総合的なデータベースをつくろうとしている。人類という大きな単位に向けて、必要な情報を蓄積していっているのです」
「いつどこで役に立つか分からない」という常套句がある。教養やら学問の価値を説明する時によく使われる決まり文句だ。分野を問わず教育機関への助成金が削られる度にSNSで使われる言葉だが、いかんせん乱用気味の感が否めないので思ったことを手短に書き残しておく。
たとえば古代の哲学って「いつどう役に立つか分からないがいつか役に立つから大切にしよう」の価値観に支えられたものではなかったはず。その当時重要だった「神とは何か」「正義とは何か」という共同体の切実な問いに答えを出すために哲学は求められていたんじゃないか。
哲学が答えを出すことで即時的に効果を発揮し、それが”たまたま”永遠に解決できない問題であったことから、二十一世紀になってもソクラテスやアリストテレスは読まれ続けている。
だから今日哲学をするのであれば今日解決を求められてる問題に答えを返すべく哲学を行わなければなるまい。なお問題は個人的なものでも社会的なものでも構わない。
そういう意味で、思考したり批判する快楽がカンフル剤として日常生活のストレスを緩和させるのであれば、それも有用だと言える。
引用したコテンラジオは今なおも有用性を発揮しているから多くのリスナーに支持されているし、そして同時にこれが遠い将来どこかで別の効果を発揮する可能性も秘めているからこそ、一部投資家から資金を調達できたと考えてる。「いつどこで役に立つか分からない」だけに縋り付いたところで、現時点で本人も含めて誰にも一切価値を認められていなければ、それが、その人が誰かに認められることは今も将来もあり得ないだろう。
「いつどこで役に立つか分からない」という言葉に惑わされてはいけないという自戒。
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