見出し画像

新しい一歩

 物事が大きく動いた。SNS上だけのよく分からない”ちとアカウント”がついに現実とリンクしたのだ。

確か月曜日(10月3日(月))の朝

 これまで開始時刻が早かったようで、一度も聞くことができなかった朝活ラジオ。それが今回は私の活動時間に行っているようで聞いてみることにした。

・・・

 このいかにも教員らしいその話し方に、私の心に何かがこみ上げてきた。私はこの方に”私”を伝えたいと思い、すぐにDMを送った。その日の昼には会い、私のいくつかを伝えた。

 こうして”ちとアカウント”が実体を帯び、もうふわふわした存在には戻れなくなった。そして、心の中で秘めていた計画を大きく前に進めることを決めた。
 私のいくつかの真実をここで公開していこうと思う。

 ちとアカウント上では2021年度末退職となっているが実はもう少し前に退職をしてこの事業を始めていた。(ここだけフェイクを入れていましたすみません・・・)なぜ、教員アカウントだったのかというと、教員の空気感がやっぱり好きなのだ。今も仕事上で教員と関わることはたくさんあるが、やはり同じ志の人間と一緒に居るのは楽しい。

 私が教員だった頃、毎日がむしゃらに働き将来は管理職を目指していた。当時12時間以上当たり前に働く私にとって、年を取ってからの担任像が想像できなかったからだ。
 しかし、次第に管理職になった自分も想像できなくなる。何でもかんでも反対!反対!と時間を消費する団体。団体に属してないけど、解雇されないことを悟った人たちの反抗・放棄・怠惰の姿を見るにつれ、この業界自体に絶望していくようになった。そして、完全に退職を決意させてくれたのは教育委員会だった。ある事件に巻き込まれ、最後は味方になってくれると信じていた教員委員会が手のひらを返し、私が全て悪いと結論付けのだ。

 あぁ、この組織にとって私は数ある駒でしかないんだ。

 それまで、「辞めたいなあ」なんて感情もよぎりつつ、子どもの笑顔「分かった」「できた」「楽しい」をやりがいに続けてこられたが、清いほど簡単に同じ教員であった妻と共に辞表を提出していた。


 そして、たまたま新聞で目にした事業で、私たち夫婦の経験が生かされるのではないかと思い、現在まで続いている事業を始めることになる。

 それから数年

令和2年度は、年間3000万を超える売り上げ

令和3年度は、年間3500万を超える売り上げ

1店舗でのほぼ限界の売り上げまできた。

 そのうち、私たち夫婦が取れる金額は5~6割と言ったところか。(1人で経営しているなら4~5割くらい)

 その金額もさることながら、働き方(時間・資金などの環境)が本当に素晴らしいのだ。

 そして、これは経営テクニックによるところもあるが、私がやりがいとしている子どもの「分かった」「できる」「楽しい」を実現しながら仕事ができる。

 これだけのお金を稼げて、この労働時間で、このやりがいで、そりゃ子どもも4人になるだろう…と(笑)

そして、私の次なる計画を進めていくことにする。

​ 私はこれまで様々な方の援助で生かされてきたが、残念ながらその恩を教育界に還元することはできなかった。よって、私と同じような思いで、子どもの成長が楽しくて仕事したいのに、公教育界に絶望している人を援助したいと思う。

 このちとアカウントが現実のものとなった今、出し惜しみ無くいきます。元教員のコミュニティ創設に向けて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?