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理解し合うのはやっぱり難しい

昨日はとっても腑に落ちる記事を読んだ。内容としては、困窮している人ほど判断力が鈍り、無責任な煽りや”うまい話”に飛びつくことが多い。そして自分をさらにひどい状況に追い込む結果になる。著者の吉川氏はこのような弱者を煽りたてることによって利益を得ているインフルエンサーたちを厳しく非難している。

以前も書いたように、私もネットでは極論を語る人が多いように感じる。確かに極論のほうが分かりやすく、強いメッセージを打ち出せる。また、ある一面においては正論であることも多い。それでも極論が蔓延する環境は不健康だとモヤッと感じていた。しかし、そのモヤッとした感じの正体をなかなか言語化できなかった。

今回の記事を読んで、私の中に足りなかったピースは、”困窮している人ほど判断力が鈍くなる”という考えだと腑に落ちた。世の中にある多くの問題は多面的であり、さまざまなトレードオフをバランスしながら解決していく必要がある。しかし判断力が低下している状況では、このバランスをうまく取れない。だからこそ、短絡的な”うまい話”に飛びつく。そして、このように判断力が低下している人々が餌食にされてしまう環境はやはり健康的とはいえない。

一方、上述のインフルエンサーたちにも言い分はある。あれもリスク、これもリスクと考えているうちに、実は動けないことが一番のリスクだったりする。彼らの身近は実際に動いて、成功を収めた若者も多い。自分たちは何も弱者を搾取しようとして煽っているのではなく、チャンスがあるのに迷って動けない人々の背中を押しているのだという気持ちもあるのだろう。

結論として、このブログのタイトルにあるとおり、両者が理解し合うのはやはり難しいように思う。なぜなら、それぞれの見ている対象があまりにも違う。吉川氏は司法書士事務所で勤務した経験から、多重債務者といった生活に困窮している人を多く見ている一方、インフルエンサーたちが念頭においているのは基本的な生活条件を満たした上で、より良い生活を望む人たちである。だから導き出す答えもおのずと違ってくる。

「群盲 象を評す」というインドの古い教えを知っている方も多いと思うが、人が社会の全体像を把握できるという考えもまた人の驕りかもしれない。自分は何かを見落としているかもしれないという謙虚な心を常に持って生きていきたいですね。

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