知足

知足
 
自己紹介もかねて
脱サラした鍼灸あん摩マッサージ師です。
独身で男、年齢は現在30代後半です。
訪問治療しながら、治すより気づいてもらう治療をさせていただいております。
時間と重力だけは、どんな人にも平等にかかってくるものです。
 
足るを知る
人にはここまででいいという限度が存在します。満足。
それを超えてしまうことで自分自身を追い込んでしまったり、自分だけでなく他人や他生物を傷つけてしまったりする。
 
イメージしてみます。
 
例えば、
お腹が減った→何かを食べる。→何を目的に食べますか?
タバコが吸いたい→タバコ吸う。→何を目的に吸いますか?
お酒が飲みたい→お酒飲む。→何を目的にお酒を飲みますか?
Etc…
 
欲求の赴くまま、摂取するものは体の中に溜まって消化できなくなり、どんどん膨れ上がって詰まっていき、濃度が濃くなり体内にどんどんたまっていく。
 
消費するほうでは、
走りたい。→走る。→何を目的に走ってますか?体力向上のため?維持?イヤホン両耳につけているけど、音楽を聴きたいの?周囲の音聞こえてますか?目的は何ですか?
筋肉をつけたい。→ジムに行く。筋トレグッズを買う。→どこまで筋肉をつけますか?目的は何ですか?プロテイン買って、牛乳飲んで、インフルエンサーの言いなりになって、内臓大丈夫ですか?あなたはその人になりたいのですか?
興奮したい(ギャンブル、性欲)。→破産、色恋に支配されお金を使いすぎてしまったり、怒りが生まれ破壊的な衝動に駆られてしまう。Etc…
もちろん上記の消費行動をすることによって、好転することもあると思います。しかし、あまりにも自分のことがわかっていないのに他人の意見に流されている人が多い。
足るを知れ。
 
今の時代は他人の決めつけたことで、他人に押し付けることが正解とされている。それが普通って言っている人たちだと思う。
いいと思っているからやっていることでも、自分と他人は違う。
自分の脳みそと他人の脳みそは違う。
常識や普通とゆうことはその人の価値観。
価値観は国によって当然違うし、家庭環境やその人の周りにいる人の環境、みんな違う。他人に押し付けないでください。
誰がすごいとか、そんなものはない。
自分は自分。自分の身体〈心と体〉は他人とは違います。
他人を目指すことによって自分の身体の声を無視しないでほしい。
自分が満足する世界で生きていけばいいと思う。
それを乗り越えて見たことのない景色が見たいのであれば、
自分が今いる位置に地に足がついているのであれば踏み出せばいいと思う。
足るを知れ。
 
最近はないでしょうが、祖母の頃には昨夜のご飯を母が臭いを嗅いで、
その日の食卓に出していいか決めていたという話がありますが、料理を作っている私たちのの身体にもそのセンサーはあるんですよ。
大丈夫か、大丈夫でないか?
どこまでは大丈夫か、どこからが大丈夫でないか。
他人が決めた化学調味料で埋め尽くされた食事などで、他人が科学的に大丈夫だと判断した食事を食べることに無抵抗な人。
いけるのか、いけないのか。そういった判断ができなくなっているのは進化でしょうか、退化でしょうか?
ある程度のストレス与えてないと人間は弱っていきます。
きれいじゃないと生きていけない。完璧に。
それでいいのでしょうか?
足るを知れ。
 
食べ過ぎて起きている病は最近です。それまでは食べれなくて死ぬことがほとんど。だから補法(補う治療)がほとんどでした。
体の外側ばかりに気を取られて、内側をケアしていなさすぎです。
川の水も濁った水が上流から絶えず流れてくれば、下流ではどうなるでしょうか?とゆうか海はいずれどうなりますか?
絶えずです。絶えず流れ続けるのです。
足るを知れ。
 
まぁ、こんな思想です。
整形外科や治療院、介護施設や、接客、配膳、営業時代のことなど色々経験してきました。
それをもとに出来る限り細く長くノートを続けていきたいと思います。
手の届く範囲でいいから、届いてほしい私の言葉。
よろしくお願いします。

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