見出し画像

15分休みにサッカーをする

最近、立ち上がる瞬間や、振り返ったときなど、ふと動き出した時に、頭から足の先までの神経がギュンってなる。

痛みがあるわけではないのだが、なんとなく身体が不調をきたしているような気がする。

3月頃に勉強が一段落して、それから全くやる気がなくなった。就活も欲しかったところ一ヶ所だけ受けて内定をもらった。いわゆる燃え尽き症候群という感じがするが、実際燃え尽きるほどの情熱も労力もかけていない。

小学生の頃は休み時間の度に外に出て遊んだ。たとえ15分しか休みがなくてもサッカーをしに校庭へ駆け出した。大人は、子供は元気があっていいな、と言うが、こんなに早くその大人たちの仲間入りをするとは思わなかった。

思えば、僕は保育園の頃から「早く大人になりたい」と思っていた。周りの大人から、同等の立場として、同じ1人の人間として扱ってもらいたかったからだ。

だから、小さい頃から大人のマネをしてきた。それなりに頭がいい僕は、大人の考え方のマネが上手だった。小学生の頃はディベートの授業で相手を言い負かしてマウントを取り、中学生の頃は、他のみんなが校則に文句を言う中、中身に意味がなくても守ることに意味があるんだよ、と斜め上から目線で語り、歳を重ねるごとにそのマネごとは上手くなっていった。

今になって考えてみると、あの頃はもっと欲望や感情に忠実であるべきだったのかもしれない。大人である、というのは、多くの不満や不平等に抗えない人間がそれらを諦めてうまくやっていく、ということだと思う。僕の場合、初めから反抗や不満をせずに俯瞰的な理由付けばかりやってきた。そうやって最終的にできたのは、他人にも自分にも甘い、諦めることが得意な今の自分である。

皮肉にもそんな今の僕は、子供の頃のように死力を尽くして生きること、全力でギリギリに生きることに憧れている。

何をするにしても全力を出せない、身体を壊さない程度に、どころか、ほぼほぼ一夜漬けで終わらせてしまう。それでギリギリ合格ラインを出すあたりタチが悪い。しかしながら、明らかにガタが来始めている。もはや必須の宿題すら徐々に提出がままならなくなってきており、自分の全力それ自体の低下が著しい。恐らく、体調がおかしくなっているのもそれのせいだろう。

もっと全力で生きたい。15分の休み時間でも校庭に飛び出していったあの頃のように、全てを投げ打てる無鉄砲さが欲しい。もっと自分の限界を試したい。

今、長きに渡って形作られた『大人な』自分vsどんなことも後先顧みない無鉄砲な『子供』になりたい自分の戦いが日夜繰り広げられている。今のところ『大人』側の全勝である。

この文章は宣戦布告の文章である。
まずは今日1日、『子供』側の自分が勝たせてもらう。あーとかうーとか言いながら、夏休みの宿題をやる子供のように、少しずつ前に進みたい。そして次の日、そのまた次の日、と勝ちを重ねていきたい。

こんな時に思い出すのは『自分史上最強の自分理論』である。毎日、自分史上最強の自分になっていくことで、自分を確実に強くする理論。

今日もまた、『大人』自分は強敵となるだろう。相手にとって不足はない。長年積み重ねてきた自分自身を打ち壊し、新たな自分を、史上最強の自分を更新することを、ここに誓う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?