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捨てられないTシャツ(感想)_一般人の人生であっても、世の中は驚きに溢れている

様々な職業、年齢、出身の人々が自分の半生を思い出に絡めて語られている(全70エピソード)。書いた本人の文章がそのまま使われているものもあるらしく「都築響一編」となっている
自分は特定することが出来なかったが一般人に混じって著名人によって書かれている文章もあるらしい。

「捨てられない」という本のタイトル通り、タンスの肥やしとなっているが思い出が詰まっていたりいつかまた着ようと思っていたりと、今後着るつもりも無いTシャツについてのエピソードもたくさんある。(着る予定のエピソードもあるが)

また、Tシャツにまつわるエピソードというよりその人の半生を語る文章がメインとなり、残念ながらTシャツとの関連性の薄くなっている文章もあるが、一般人が自分の人生を振り返ったときに「これだけは語っておきたい」という思いが滲み出ているためにそういうものだと割り切ると楽しめる。

ここで語られるエピソードは、Tシャツを手に入れた経緯と共にサラッとその人のTシャツに対する思いが語られているものや、劣悪な家庭環境で育った人の苦労話しであったりと様々だ。年齢、性別、職業もバラバラであるために文章量や文体はまちまちだし、本当のことだけを語っているという保証も無い。そんな見たことも聞いたことも無い一般人の書いた文章が面白いのかという時点で実験的だと思うのだが、そこは都築響一がセレクトしているだけあって、読んでいて心を揺さぶられるエピソードが多々ある。

自分の気に入ったエピソードの2つを要約する。

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ジョーイ・ラモン / 42歳女性 / バー経営 / 神奈川県出身

ラモーンズのライブで鋲つきのライダース着用のお兄さんに直撃。アゴをぱっくり切る。最前列だったのでステージ上のジョーイ・ラモーンに引き上げられてステージソデから出て救急車で病院へ。
酒臭かったので麻酔は使えないと言われ5針縫って、治療が終わってタクシーに乗ってからライブ会場へ。包帯ぐるぐる巻きの頭で再び最前列へ。
病院に運ばれている間に演奏されていた「Rock 'n' Roll Radio?」を再度演奏してくれて演奏中にジョーイが来ていたTシャツを差し出してくれたから、自分もTシャツを脱いでブラ一枚の姿で受け取ったTシャツ。

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ばあちゃん / 33歳女性 / デザイナー / 福島県出身

金と女が好きなじいちゃん。父と母が稼いだ金はまずじいちゃんへ上納。じいちゃんから少ない生活費を渡されてやりくり。テレビを見ることが許されずこっそり押入れに隠したアウトドア用のテレビを隠れて観る。
家庭は崩壊していたので、16歳で親公認の半同棲生活。ばあちゃんはそんなじいちゃんとの狂った生活にもノーストレスと言い切った強者。しかし親にも見放された自分を信じ続けてくれた大切な人。じいちゃんの看病で体力の限界を迎えていたばあちゃんの顔を描いてプリントしたものだが、ばあちゃんは病院で看病しながら口でもおじいちゃんの世話をしていたというオチがつく。

ライブで怪我することになって一生消えない傷が残ったとしてもそれは思い出の傷だし、ばあちゃんの人権はまっとうに考えたら無い等しい状況であるが本人にとってはそれでもじいちゃんに尽くすし、孫がどんな状況であっても無条件に味方になってくれる。

それぞれが社会的な体裁よりも、自分の価値観や考え方を優先して生きているからこその芯の強さやバイタリティを感じられて羨ましい。
興味の無い人間からすると狂気に取り憑かれていると見えるような行動であっても、当人にとっては、自然で自動的な行動なのでそれで良いと信じて突き進んでいける。
自分なりに折り合いをつけられるので、例え失敗したとしてもむしろそれを糧にして生きていける強さがあるし、本当に辛ければ逃げられる判断力もある。

他人の意見やSNSに投稿される批判や誰かの自慢に一喜一憂したり、周囲の環境のせいにして、自分のやりたいことや好きなものを見失って生きることがいかに無駄なことかを教えてくれるし、不安が募った末に追い詰められて自殺する前に回避するしなやかさもある。

それはきっと他人にどう思われるかということよりも、自分がどうしたいか、どうなりたいか。そういうことを知っているというのが大きい。
なので、もしもやろうかどうか迷っていることがあるのなら「まずはやってみるか」と背中を押してくれる本だと思う。

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それにしても、Tシャツの自己主張するパワーはすごいな、と。
自分の好きなものや自分を体現するものがプリントされているTシャツを選んで身につけることによって、その人の価値観やセンスが透けて見えてくる。
しかも「白川郷」の文字と、合掌造りの図案だけのTシャツのように一見メッセージ性がありそうでいてそんなことはきっと無く、ただの観光Tシャツなワケだがそういう「誰も着用しないようなTシャツを着る俺」の場合。イケているのかアウトなのかの判断が困難だ。

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そのTシャツによる白川郷のPR効果なんてたかが知れているし、そもそもTシャツなんて着用する人自体の普段のセンスによっても格好良くも悪くもなる。
それでもせっかくTシャツを着て街を歩くのなら無地よりはなんらかデザインされている方が楽しいし話題のきっかけになってくれることもあるし、身近な人がプリントTシャツを着用していたら「なぜそのTシャツを着ているのか」をやはり考えてしまう。そういう自己主張の激しいアイテムなんだな、ということを改めて認識。
自分の思いやセンスを自己主張するTシャツに付随するエピソードに絡めることで、ダサければダサいなりの自分トホホな話しや、センスの良いTシャツの場合、それなりにクリエイティブな話しなど。持ち主のアイデンティが見事にTシャツへ集約されている。

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