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MUSICUS!(感想2)_人々の共感を得られる表現について考える

『MUSICUS!』は2019年12月にOVERDRIVEから発売されたビジュアルノベルで、シナリオには瀬戸口廉也が関わっている。
以下は長くなった感想の続きで、花井三日月、香坂めぐるルートの感想はこちら。
なお、感想にはネタバレを含む。

バンド活動を諦めることで失い、得たものを考える、尾崎弥子ルート

馨が弥子の家に招かれ、売れない画家のまま亡くなった弥子の父親のエピソードを聞いたうえで、「どんな形であれ、自分の人生をギャンブルにするなんてあってはいけない」を選択するルート。

この選択によって馨はバンド活動を継続することを諦めることになるのだが、定時制高校での文化祭へ向けたバンド活動へ巻き込まれることで「バンド活動を辞めることに後悔はないのか?」と自身の決意を問い続けるルート。

何にでも当てはまることだが最初のうちは楽しいことでも、続けていると変化や成長、反応が無いと飽きるし、その後の苦労によって当然「楽しく無い」ことも増えたりする。

多くの人が稼げないバンド活動などは、自身の才能を信じて突き詰めた結果、バイトと掛け持ちでないと生活すらままならない状態に陥って齢だけを重ねることになりかねない。
だから退屈な日常を過ごすことになったとしても、日々のささやかな変化にこそ幸せを見いだせるような生き方があっても良いのでのではないかということが提示されるルートで、キリギリスのように将来を気にせずに”今を楽しむこと”を良しとするめぐるのルートとは対照的。

学園祭に向けての足並みが揃わずに、周囲との温度差を感じたりとそれなりに起伏はあるものの、大きな障害もなく学園祭を成功させることがゴールという、ある意味平坦なストーリーだと思う。

そのように日和った選択であっても後悔しないのは、馨を全面的に肯定してくれる弥子の存在があったからこそ。
結局のところ、バンド活動でなくても自分自身で納得の行く何かさえあればそれで良いのだから。

むしろ仲間たちと文化祭ライブを成功させた経験があるだけマシだとも思う。だってほとんどの人生は、見ず知らずの人たちから注目を集めることなど無いまま終えるのだから。

また、馨には多くの人たちの共感を得る音楽を生み出す才能は無いと考えておりそれでもライブが成功したのは定時制高校へ通う生徒たちの鬱屈とした思いがあったからこそと考えている。
日々充実した日常を送っているように見える全日制の生徒たちにだって悩みはあるからこそ通じ合えるものがあると思いたい。

表現者が共感を得るために必要なことを教えてくれる、来島澄ルート

Dr.Flowerの長期ツアー最後のライブ直前、メンバーが疲弊しているところで「ステージには完璧に作り込んだものをあげなければ」を選択するルート。

ツアーで疲弊したバンドメンバーの体調よりも、アウトプットの質を重視する馨の独りよがりが際立つ選択で、成功を手にできないままやがて髙橋風雅が疲弊によって倒れてバンドは解散し、馨はソロで活動することになる。

澄は「どんな時でも元気になる」と馨の音楽を肯定していたが、八木原の理解を得られなかったのは、多くの人の理解を得られないことを意味しており、ソロ活動することになった馨のつくりだす音楽は4象限のDに当てはまり、コンテキストの無いマニア向けの音楽と思われる。

元々馨に売れる音楽をつくる才能は無かったとはいえ、ひとりで続けるほどに売れなくなりジリ貧になっていったのは、そもそも音楽を通して表現したいことが弱かった可能性も考えられる。

音楽や絵画や文章アウトプットする行為はなんでもそうだが、なんらか表現したい元となる経験があって、それが人々の共感を呼ぶからこそ多くの人に受け容れられる。
そして表現する内容は、貧困や挫折などなんらかの負の面があるからこそ表現したいという動機が生じやすく、そういう感情こそ人々に共感されやすい。

しかし、馨には音楽をつくたいという初期衝動のようなモチベーションがそもそも弱い。Dr.Flower結成のきっかけには金田のパッションが大きく寄与していたし、三日月が居た頃は一応その才能を輝かせたいという思いもあった。
ソロ活動をするようになってからは、実家が太いから親へ金を無心できるし家事は澄がやってくれるから、本当の意味で馨は追い込まれてはいない、いわゆるぬるま湯状態だった。

その後澄が交通事故で亡くなり、エンディングでは馨が音楽をつくり続ける様子で終えるのだがこれをどう解釈するのか。

ポジティブに解釈してみる。
馨のつくりだす音楽を肯定し、さらには自分の子を宿して献身的に生活を支えてくれた貴重な存在だった澄を失ったことで、「音楽表現を通して表現したい、または共感を得たい経験や悲しみ」が出来たとも解釈できる。

澄がいなくなったからこそその理由が出来たというのが皮肉だが、後味が悪く残酷なストーリーだから、それくらいの光明が無くては救われない。


作品全体を通して言えるのは三日月ルート以外では、いい齢して売れないのに音楽活動を続ける負の側面が強調されるストーリーに心を揺さぶられ、胸を締め付けられるようだった。
ただし『Carnival』『キラ☆キラ』『Swan Song』など、瀬戸口廉也の関わった過去作ほどの感動は無かったようにも思う。

余談だが、人々が音楽そのものよりもコンテキストを求めている件について、私自身は純粋に音楽だけを楽しむのも可能と考えている。
膨大な量のストックから適当にランダム再生させていると、誰の楽曲か分からず歌詞が日本語で無ければ何について歌っているのかすら不明だったりするが、心を動かされることは稀にある。
いずれにせよ音楽は受け取る側の、その時の気分次第だったりもするので、心を動かす原因がコンテキストなのかそれとも音楽なのかという問い自体に意味は無いとも思うのだが。


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