水月(感想)_主体性の無いのをいいことに、つけ込まれる主人公
『水月』はエフアンドシーから2002年発売の美少女ゲームで、シナリオはトノイケダイスケ、原画は☆画野朗。
記憶喪失になった主人公が、自己のアイデンティティに悩む物語となっていてシナリオがなかなか興味深い。2023年3月には音声追加とUI刷新され、再発売しているがそちらは未プレイ。
以下はネタバレ含む感想などを。
夢と現実の境界が曖昧に
『水月』は海と山に囲まれた那波町で、事故によって記憶喪失になった瀬能透矢がヒロインたちと交流し、自らのあるべき姿に悩みながら居場所を探す物語となっている。
物語は主に以下3つの要素が絡み合って展開する。
黄泉の国や天照大神など、日本神話からの引用
優れた知能を持ち、日本の先住民とされる山ノ民の存在
主人公の記憶喪失によって不安定になる自我
透矢視点で語られるシナリオは夢と現実の境界が曖昧で、過去/現在/未来の時間軸を行き来する。さらには願いを叶える「涙石」の効力がどこで発揮されているのかがよく分からない。
そのため個々のエピソードが現実または夢なのかそれとも「涙石」へ願った結果として書き換わった世界なのかなど、物語の読み解きが困難でモヤモヤしたものが残ったままという印象が残る。
また主人公となる透矢の性格の特徴は他人に優しいことらしいが、だいたいヒロインたちに対して上から目線の態度でありながら、時にかなりの甘えっぷりを見せつけてくるあたり、結局のところ最も優しいのは自分に対した時になのではと思われる。
さらには判断能力の低い子どもですら節操なく抱くことも相俟ってどうにも共感しづらい。
しかし記憶喪失によって自我の不安定になった透矢が、記憶を失う以前と現在の自分のギャップに悩むことで、他者からの影響を強く受け容れてしまうという設定には考えさせられるところがあって、透矢を絡め取るかのように受け入れてくれる雪の存在がホラーのようで興味深い。
記憶が曖昧で主体性もないから他者からの影響を受けやすい
記憶を失う以前の透矢のパーソナリティは友人たちの言葉をまとめると、優しい性格で弓道の腕前が達人の域。さらには勉強も出来るし複数のヒロインからのモテっぷりから恐らくルックスも良いはずで、非の打ち所の無い人間だったとされる。
しかし病院で目覚めた透矢は、友人たちのことを覚えておらず、友人たちから語られるかつての自分が、記憶を失った現在の自分が別人に思えるために悩むことになる。
かといって記憶の無い透矢には友人たちの言葉を否定できる根拠となる記憶が無いし、複数人の友人たちが口を揃えて同じような人物像を語るのだから否定のしようが無い。
つまり、記憶を失って自我が薄くなって主体性のなくなった透矢は人に依存しがちで他人からの影響を受けやすくなってしまった。
そのせいで牧野那波と過去の出来事や夢を共有して、土地に残る過去の事象とシンクロしてしまったり、マリアの想いによってつくりだされた母の幽霊のようなものが視えてしまったりと、言い方は悪いが他者からつけ込まれているようなところがある。
アリスなどは空気は見えないけど存在はしているのだから、魔法だって存在しうると、話しを誘導されていたりとこれでは詐欺師と紙一重だ。
その最たる人物が透矢のメイドを自称する琴乃宮雪で、一見透矢を甲斐甲斐しく世話しているようでいて、透矢を自分無しでは生きられないほど依存させ、徐々に透矢を立派なダメ人間へと調教している。
雪ルートでは、終盤に庄一や花梨が雪を認識しなくなるのだが、過去に自宅の書斎でネバーランド自体がピーターが自分のためにつくった幻の世界だったと語られるエピソードが挿入され、透矢の喜ぶことしかしない理想的なメイド像というのも怪しく、雪の存在そのものが記憶喪失に悩む透矢が現実逃避のためにつくり出した虚像だったことも連想させる。
ただし、物語序盤では庄一や花梨も雪の存在を認識していたしなんなら父親も雪について言及していたから、虚像だった場合に整合性が取れなくなるのだが、そもそも「涙石」の効果範囲や現実と夢の堺が曖昧なため本当のところはよく分からない。
記憶が無いのをいいことに、透矢を思い通りにしようとする
記憶を失った透矢は自我が不安定になったことに悩むのだが、それに対する周囲の反応の異なる。
透矢だけのメイドと言い張る雪はそんな透矢を全面的に受け入れてくれ、那波も自我の不安定な透矢となることで夢を共有出来るようになったのだからこの2人はむしろ記憶を失ったことを喜ばしいと考えているフシがある。
和泉の場合は過去に透矢から救われたことだけが大事なようで、記憶の有無に頓着していないようだが、花梨や庄一は過去の透矢へ戻ることを望んでおり、雪と意見が衝突することもある。
つまり状況を俯瞰してみると、透矢が記憶を失った状況を好ましいと考えているのは雪と那波になるのだが、さらに雪の場合、透矢が情緒不安定なのをいいことに、これでもかと透矢を甘やかしてくる。
だいたい、入院している透矢の父の見舞いへ一度も行かないことが不可解だし、そもそも事故自体も家の中で二人きりになる時間をつくるために、雪が仕組んだのではないかと勘ぐりたくなるほどだ。
事故を仕組んだのが雪で、身体は回復可能な程度に痛めつけて記憶だけを消せるものか? とも考えたが事故で半身不随にでもなったなら、それはそれで雪なら喜んで介護をするだろうと思えるほど雪は透矢へ依存している。
雪ルートでは最終的に他の人間を排除して、マヨイガにて雪と2人っきりで過ごすことになる。恐らく死ぬことすら出来ないマヨイガと呼ばれる空間に2人だけで永遠に続く世界なんてディストピアでしか無いと思うのだが、先述したとおり、雪が透矢のつくり出した虚像であった可能性もある。
その場合、マヨイガへ向かったのは透矢ひとりであり雪なんて存在すらしない。俗世の全てを投げ出して自らの精神世界へ狂うために向かう様子は緩慢な死を選んでるかのようで薄ら寒い。
そもそも主人公に感情移入するあらゆる美少女ゲームのヒロイン全てが虚像でしか無く、雪の存在がそういうものへのメタファーにも思えて『水月』はホラーっぽいのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?