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横浜FCが柏レイソルを破った余波

サポによる負けた選手へのブーイングとは


横浜FCが柏を破った前節、試合後柏サポが選手に大ブーイングしていました。
自チームだったら「選手は全力を尽くしてんのに、”負けたらブーイング”というフォーマットみたいにすんなよ。」と真面目に憤るところですが、他チームだと「あら、あら」と思うぐらい(笑)。自分のチームが負かしての話ですしね。

ただ、他チームのこととして客観的に考えてみると、サポによる選手へのブーイングもサッカーの風物詩みたいなもので、リーグの盛り上げに一役買ってるのかもしれないです。

そう考えると、横浜FCでの負けた時のブーイングもある意味、可愛いものですし、選手たちにも「プロレスみたいなもの」だと思って、あまり気にしないでほしいですね。

などということを考えていたら、その試合後、ネルシーニョ監督が解任になりました。上記のブーイングの後、柏サポが居座って抗議をし、運営側が対応する騒ぎになっていましたが、それもきっかけになったんですかね。なんだか横浜FCが引導を渡したような。
まあ、監督業というのは、就任した瞬間から解任を覚悟する職業と言っている人もいたぐらいなので、ネルシーニョ監督も腹は括っていたでしょう。

Jリーグ草創期のネルシーニョ監督

そのネルシーニョ監督は、長年レイソルの監督を務めてレイソルのイメージが強いですが、Jリーグ開幕前から読売クラブが好きだった私としては(年齢がバレる。。。ただ、サポにまでは至らずですからね!!)、1995年にヴェルディ川崎(当時)の監督をやっていた印象が強いです。
Jリーグ開幕時の監督はチームOBの松木安太郎さんでした。読売クラブはプロ化前は日産と並んで、いや、やや凌いで日本一の強豪チームでした。それがカズの加入もあり(というかそれが大きく)、プロ化直後はスター軍団として常勝を期待されていたため、1年目、2年目ともセカンドシリーズと年間チャンピオンを獲ったものの、それだけでは許されず、2年目のファーストシーズンで4位に落ちた時には松木さんは10円ハゲになっていました。(なので、その後監督業をきっぱり諦めて、今となっては解説やバラエティで才能を発揮しているのはよかったです。)

その不振(不振なのか?)の後を引き継いだのがネルシーニョ監督で、自由奔放なスター達の手綱を握り、見るからに引き締まったチームを作り上げました。(松木さんと同じくファースト優勝逃し、セカンド優勝で、かつ、年間チャンピオンは取ってないんですよね。しかし、松木時代よりチームを強くした印象という不思議。。。)

と、いうこともあったのですが、さらに印象深かったのは日本代表監督就任をめぐる騒動。当時の代表監督、ファルカンから後を継いだ加茂周さんが1995年に11月に契約満了を迎えるにあたり、強化委員長の加藤久氏は、1995年のセカンドシーズンで素晴らしいチームづくりを見せたネルシーニョ監督をピックアップ、ほぼ確定というところまで行ったらしいです。
しかし、会長の長沼健さんの独断で、土壇場でひっくり返されて加茂監督続投になりました。決まりだと思っていたネルシーニョ監督は相当怒ったようで、

「ミカンの籠の中には腐ったミカンが2つや3つは入っているものだ」

という当時大変話題になったセリフを吐き、加藤久さんが辞表を叩きつけたことも合わせて大変な話題になりました。

ネルシーニョ監督はその後ブラジルに戻ったり、一度名古屋グランパスエイトの監督になって成績不振で解任されたりしているのですが、2009年に当時J2にいた柏レイソルの監督に就任すると、2010年にJ2で優勝してJ1昇格、2011年、つまり昇格した年にJ1も制するという離れ技を演じました。その後、彼と柏レイソルの蜜月が始まり、ヴィッセルの監督(あえなく成績不振、解任)などを挟み、2期11年に渡り長いことレイソルの監督を務めました。

このようにJリーグ初期から日本サッカーに貢献しているネルシーニョさんがJ30周年の年、しかもピッタリ30周年の日の近くで(おそらく最後の)解任をされたのは、なんだか歴史を感じます。

単にレイソルのレジェンドであるにとどまらず、日本サッカー、Jリーグに大きく貢献された方だと思いますので、レイソル、およびJリーグには、彼の(おそらく実質)引退に際して、しっかり敬意を感謝を表してほしいと思います。
(今となっては、代表監督ドタキャン騒動も、彼の中では遠い思い出としてセピア色になっていることでしょう。)

その後と"if"

あの時、もしネルシーニョが日本代表の監督になっていたらどうだったのだろうと思います。基本的に選手の実力が劣っていましたし、誰が監督をやってもそこまですごい成績は出せなかったと思いますが、中田英寿もいたことですし、ネルシーニョなら勝ち点1か3ぐらいは稼いだかもしれません。

ただ、ネルシーニョの代表監督就任がドタキャンされたことで、その後加茂監督電撃解任、岡田コーチの監督昇格の流れになり、名将岡ちゃんが誕生。そして南アフリカワールドカップでは倒れたオシムさんの後を継いだ岡ちゃんがホーム以外で初の決勝トーナメント進出を果たしたわけです。ネルシーニョが代表監督になっていたら、そういう流れにもならなかったかもしれないですね。

かつ、ネルシーニョも、もしフランスW杯で手腕を見せていたら、ヨーロッパなどで監督の声がかかって、その後のレイソルとの縁も、昇格即J1優勝の偉業もなかったかもしれません。歴史にifはないですが、ifを考えるのは面白いです。

なお、ここで名前の出てきた加茂周元日本代表監督は、フリエのオールドファンは皆さんよくご存知だと思いますが、Jリーグ開幕時は横浜フリューゲルスの監督で、「ゾーンプレス」戦術で名を馳せました。
加茂さんも、任期通りにネルシーニョと交代していたら、その後のW杯予選途中の電撃解任もなく、つまり、そこで評判を落とすこともなしに、他のJリーグチームの監督をまだやったかもしれないですね。

などなど、今日はフロンターレとのホームゲームなのに、長々と関係ないことを書いてしまった!(汗)
今日の横浜FC用語:カズ、加茂周、横浜フリューゲルス



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