「SHERLOCK」にて

 柳都の中心部、古町のアーケードの一角には、ミステリー好きの集まる小さな喫茶店がある。料理やスイーツ、コーヒーとともに、上質な「謎」にも舌鼓を打てると評判の店で、リーズナブルな価格設定もあってか、平日でもランチや、うまいコーヒーを淹れる若店長との会話を楽しみにする人々でにぎわっていた。

 この喫茶店では、食事とともに「謎」と題されたカードが配られ、お会計までに書かれた問いを解き、見事正解していればその勘定から10%の割引が受けられる。一番大きな特徴はそこにあるが、この店のオーナーのこだわりはミステリだけではない。店の中は、柳都の名物や、名所の写真などで彩られているのだ。オーナーの柳都愛は、お世辞にも広いとは言えず、またアーケードの中で日当たりも悪く、暗く窮屈なイメージを与えてしまう条件がそろっている店舗の雰囲気を払拭して余りある効果を発揮していた。もっとも、「ミステリ系謎解きカフェ」としては雰囲気が明るすぎると客にこぼされたりすることもあるのだが。

 この風変わりなカフェのオーナーである男の名は、玉置善親という。彼は柳都の実業家で、柳都発展の立役者ともいうべき男である。彼が創設した雪朱鷺商会は、あらゆる分野へと手を伸ばし、その財力で以て瞬く間に柳都を日本海側随一、そして東京、大阪に次ぐ人口第三位の大都市へと成長させた。そんな男の趣味が集約されてできた小さな街のカフェ、それがこの喫茶店なのである。

 福賀使健伸は、その推理カフェ「SHERLOCK」の店長を任されている大学三年生だ。どういう縁で彼がこのカフェを切り盛りすることになったかは誰も知らないが、だれもそんなことを気にするものはなかった。なぜなら、彼の顔は、見た瞬間にそんな疑問が頭から消し飛ぶほどに「美しい」のである。とある一見さんなどは、入店した直後、彼の涼やかな美声により発せられた「いらっしゃいませ」の一言を聞き、声の主を見るや卒倒した。店長自ら介抱に当たったため、意識が戻った直後に再びそれを手放すことになったことも付け加えておこう。

 先に触れた通り、彼の淹れるコーヒーは柳都でも一番と評判であり、また彼自身も気さくで話しやすく、そして何より目の保養になるので、彼自身を目当てに来る客も決して少なくはなかったのである。

 今は夕方、丁度帰宅ラッシュが始まる前のすいている時間帯に、カランコロンと入店を告げるベルを鳴らしながら喫茶店に入ってきた若い女性二人組もそのクチであるが、彼女らはほかのそうした客とはまた事情が違っていた。彼女らの仕事は「公認探偵」である。

 「SHERLOCK」には、ミステリ好きと同じくらい探偵が集う。街の中心部に位置し、仕事の合間に容易に立ち寄ることができる立地であり、またその立地にひかれて立ち寄る探偵が多いことから、探偵同士の情報交換が行われる場にもなっているのだ。店の側もそうした需要を聞きつけ、狭い店舗であるにもかかわらずわざわざ密談用に座席の一部を個室仕様に改造するという対応を見せているため、粗探しを生業とすることもある探偵たちからも、高い評価と信頼を得ている。

「マスター、アイスコーヒーをブラックで。」

「じゃあうちもアイスコーヒー!砂糖とミルクはつけてくださーい」

「かしこまりました」

 入店したばかりの二人組が順に注文をする。若店長は苦笑いしながらそれを受けた。

「毎日ご来店ありがとうございます、なーんてね。今日も現場帰り?」

「そ。今日の現場はそんなに問題なかったけど」

「今日のは浮気調査だったっすからねえ……。清ちゃん先輩が意外と初心なのがわかったのがウチ的には大きな収穫でしたけどー?」

「そんなの忘れちゃったな……それから紅ちゃん、清ちゃんって呼ぶのやめてって言ってるでしょ」

「平常運転って感じだね……。いつも不思議なんだけど、二人はいつ大学に顔出してるの?」

 福賀使の疑問はもっともである。今ここで話している探偵二人に顔のいい店主。三人は柳都大学の人文学部同専攻に所属しているのだ。にもかかわらず福賀使の知る限りでは、同学年の清歌すら、めったに大学で目撃例がないのである。

「仕事の合間に講義室の後ろからこっそり出入りして聞いてるんだよね。福賀使くんのその緑の髪色はわかりやすいから、後ろからでも今日来てるんだなってわかるんだけど」

「割とタケ先輩もマジメっすよね。このカフェ経営しながら大学生とかどんなバイタリティしてるのかっていつも後ろで潮先輩と話してますけど」

 半ば呆れたような声を出す紅。

「まあ、自分でもどうなってんのかなって不思議に思うことはあるよ。でも私が店を開けてオーナーがヘルプに来たら店が大変なことになるからね」

「玉置さんのコーヒー、やばいもんね……」とうなずく清歌に、

「いや潮先輩、あれはヤバいとかそういう次元じゃないですよ。ウチなんか飲み始めた瞬間から飲み終わった後の記憶がないっすからね」と紅。

「まだ紅さんはいいほうだよ……最後にオーナーにお願いした時は救急車を呼ぶかみたいな騒ぎだったらしいからね」

「いい人だし、料理もおいしいんだけどね……。どうしてコーヒーだけアレなんだろうね」と不思議そうな顔をした潮は何かを思い出したようだ。

「オーナーといえば福賀使くん、一週間前くらい前に彼のところに届いたっていう脅迫状どうなった?」

「ああ、あれね。玉置さんは……」と福賀使が言いかけると、「SHERLOCK」のドアが勢いよく開き、ベルが乱れた音を立てた。

 顔面蒼白の玉置善親その人が、駆け込んできたその瞬間であった。

 




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