【禍話リライト】三二三六号【余寒の怪談手帖】【怖い話】

 偽汽車という怪異をご存じだろうか。
 狸列車という名で呼ばれることもあるこの怪異は、日本に蒸気機関車が普及し始めた時代から見られるようになった、存在しないはずの蒸気機関車が鉄道線路上を走るというものだ。
運行中の蒸気機関車が走っていると、同一軌道上を走っていないはずの別の機関車が走ってくる。それを見た運転士が急ブレーキをかけて前方を確認すると、その列車は忽然と消えているというのが多くの体験談のパターンだが、中にはブレーキが間に合わずぶつかったと思いきや、そこにあったのは狸や狢の轢断された死体のみであった、という物も存在している。
 今回ご紹介するのはその偽汽車にまつわる、とある体験談である。なお、この体験談を原作者の余寒氏に提供した人物の希望により、作中に登場する地名は特定ができないよう大きく改変されていることを示しておく。また、以下では原作者の余寒氏の表現に敬意を表して、筆者がかぁなっき氏による朗読を聞いて文字に起こしたものをほぼそのまま掲載していることにご留意されたい。

 それでは、禍話より『余寒の怪談手帖』の中から「三二三六号」をご覧いただこう。

 元塗装業で高齢のためにすでに退職されているAさんの話。彼が子供の頃に住んでいた町には、「竹の踏切」と呼ばれている踏切があった。名前の由来は、線路の向こう側の道に沿って青々とした深い竹林があるからという単純なもので、そこには「狸」が出るのだと古くから伝わっていた。
「まぁ、昔話だね。俺たちの頃にはまだ一応じいさんばあさんたちが話してくれてたけど……」
 ただ実際に狸が何かをやったという逸話は少なかったようで、後述する汽車の話以外では着物を着た子どもの姿で出る、という程度の情報しか当時では残っていなかったそうだ。
 一時期竹の踏切で、死亡する事故が連続して起きたことがあった。男女がそれぞれ数人ずつ、わずかひと月の間に踏切から列車に飛び込んだのである。大人たちは相当騒いでいて、中には当然噂好きのものも多く、また地元の住民と警察との距離が近しかったこともあって、事件についてのアレコレは公然の秘密のようになってしまっていた。それによると、死者はいずれもよその土地から来た、相互にはつながりの見いだせないものたちで、推察される動機も道ならぬ恋の果てだったり借金苦だったり、本当に偶然の事故であったりとまちまちであったらしい。
 それだけならば、不幸な事故が連続して起きたというだけの話なのだが、いささか気味の悪いうわさも流布されていた。
「それがさぁ、繰り返しだっていうんだよ」
 
 なんでも当時からさらに数十年ほど前、その踏切で同じように死者が続出したことがあった。ただその時は、汽車が通っていない時刻にまるで列車に轢断されたかのような男女の死体が続けざまに出たらしい。
 それらの死者もやはりよそ者であったが身元がはっきりせず、狸の仕業だと誰からともなく言われだした。要するに「竹林に住む狸が化かしたのだ」というのだが、死体そのものは本当にあるのだし、運ばれた先で消えたりするようなことはなかったから、半ば冗談のようなものであった。ただその噂は明確な逸話のなかった「竹林の狸」の悪行としてしばらくの間喧伝されていたのだという。

 今回の話はその繰り返しだ、という者があった。主に当時を知るお年寄りたちである。
「……といっても、今度のは汽車も人間もはっきりしているわけだし、普通に跳ね飛ばされているんだからね。たださあ……その、じいさんばあさんが言うわけだよ。その時死んだ奴らの顔が、今回の奴らの顔にそっくりなんだ、って……」
 当時もかなりの野次馬が集まっていたようで、死者の顔は覚えている、それと今回死んだ奴らの顔が瓜二つなんだ、と老人たちは主張した。
「いやあ、子どもながらに聞いてて気味が悪かったね。何がいやって、理屈が合わないじゃない」
 老人たちの語る符合は何の解決になるわけでもなく、ただ意味不明な不気味さを喚起するだけだった。住民の多くも気味悪がったが、結局、そこまではっきり顔を覚えてはいないだろうとか、思い込みだろうとか、ごく常識的な突っ込みがあってまともには取り合われなかったそうだ。

 さて、Aさんはこの連続した死亡事故についてはただの傍観者の一人に過ぎない。彼が関わっているのはその時流れていたもう一つのうわさについてである。
「事故とは全く別に、変な列車が走ってるって、みんなが言うんだよ」
 深夜、竹の踏切を通るはずのない列車が通る。近くの住人が深夜に列車を見たとか、変な音を聞いたとか騒いでいた。そしてそれが、何かおかしい。普通の列車ではないというのである。
「そっちも狸がやったんだとか、そうじゃないとかいろいろ混乱したけど、まあ俺たちにとってはどっちにしろ、恰好の代物だったんだ」
 Aさんと仲のいい友達数人とで、それを見に行こうという話になった。子どもが深夜に抜け出すなど困難だが、集まった面々はAさん含めて家の人の監視が甘く、抜け出すのを苦にしない者ばかり、つまりは悪童たちだった。度胸試しの側面もあったのだろう。
 それに、いわゆるちょっと賢しい友達がAさんたちに言っていた。
「鉄道というのは夜中にも貨物列車を走らせたり、点検や試運転で列車を走らせることがある。問題の列車の正体はそれではないか」と。
「いやまあ今思えば大人たちはそれぐらい知ってるよな。まあそこまでは頭が回らなかったんだね。大人たちが怖がっている秘密を、俺たちが暴いてやる!っていうような興奮もあったし……」
 そして彼らは、ある夜示し合わせて家を抜け出し出かけて行った。布をかけて光を抑えた懐中電灯を各々蛍のように掲げ、一人が家からくすねてきた懐時計をにらみながら、静まり返った闇の中をぞろぞろと。幸い、踏切のすぐそばには人家はない。彼らは出るという時間のほぼぴったりに竹の踏切の前へと到着した。
 並んで立ち止まる。風は温く、ゆっくりとしか吹いていない。なのになぜか線路の向こうで、竹林がやけに大きくざわざわと鳴っている。
「なんでだろうな。そのときになぜか、あっ!ほんとに来る!って……、何の根拠もなく思ったんだよ。感じたというかな……」
 そして、それは来た。

 まず音がしたのだという。しかしそれは、警笛などのいわゆる列車の立てる音ではなかった。
「バカなこと言うけどさ、幽霊の出る時の音ってあるだろ?……ひゅうぅぅぅどろどろどろぉってやつ……」
 歌舞伎などの芝居において、横笛と大太鼓によってつくられる音であり、お化けの出現の効果音としてお約束になっているあれである。
「あぁそれだよ。それがそのまんま聞こえてきたんだ。わけわかんないだろ」
 ひゅぅぅぅううぅどろどろどろぉというわざとらしいくらいはっきりした音が、風に乗って線路の方から鳴り響き、それとともに線路上を列車がやってきた。ひゅうどろの中に、ぎぃぃぃいいぃぃとひどい軋む音が混ざりはじめ、とんでもなくゆっくりした速度で竹の踏切を横切っていく。とっさに懐中電灯で照らしていた。
「…………いやぁ……わけが分かんなかったよ……」
 もういちどAさんはそう繰り返した。それは、子どもの目からですら、明らかにちゃんとした列車ではないとわかる代物であった。
 紙に書いた落書きのように単純な線で構成された四角い箱に近いものを繋げて、そこに用途の分からないいくつかの突起や鉄線らしきものとたくさんの車輪が大雑把についている。ガラスをはめ込んだらしい窓だけがやたらと大きく、その中には大人が並んでいた。
 男と女が数人ずつずらりと体をそろえて何かに掴まるでもなくじっと前を向いて、そうやって、立っているらしかった。らしかったというのは、窓ガラスがひどく分厚いのか粗いのか、ぼんやりした形でしかそれが見えなかったからだ。特に男女の腰から下がはっきりせず、まるで薄れて消えているように見えた。
「おばけ……」
 と誰かが口走った。Aさんはその時ちょうど車両の半ばほどに、大きなプレートのようなものが掲げてあるのを見ており、そこにあった数字を今でも鮮明に覚えているという。
「三、二、三、六。……三二三六号って読んだんだ。ほんとになんでだろうなぁ、今でもほんとにその文字の形も思い出せるんだよ」
 ほかの仲間はその数字を見ていなかったらしい。なんにせよ明らかに異常な列車が目の前を横切っていく。しばらく固まっていたあと、Aさんたちはだれからともなく後ずさりして逃げようとした。けれどその時、彼らの一人が「あっ」と叫んで行きすぎていく三二三六号の向こう、ざわざわと鳴る竹林の真ん中を指した。
 そこに子供が立っていた。夜の闇の中だというのに姿がはっきり見える。その子供は無地の着物を着て、頭は芥子坊主(頭頂部だけ残した昔の子供のような髪型)にし、こけしのような顔をしていた。が。両目のあるべきところだけが、針で開けたような小さな小さな点になっていた。
 そいつが、キュルキュルキュルッ……と、動物の鳴き声とカセットテープの巻き戻しの中間のような音を立てて、告げた。
「ツジツマアワセ」
 確かにそう聞こえたそうだ。それで麻痺が解けたようにみんな叫びながら散り散りになって逃げたのだという。
 Aさんはじめ、懐中電灯を放してしまったものもおり、時計を持ってきたものはそれもどこかへなくしてしまっていた。当然家に逃げ帰った彼らは大目玉を食らったらしい。出くわしてきたもの見てきたものをAさんたちは家族に包み隠さず話した。
「狸に化かされたんだ」
 大人たちは、ある者は恐ろしそうに、あるものはバカにしたように口々にそう言った。
 それからも夜の妙な列車は出続けていたようだが、月の終わりまでにはうわさも聞かれなくなった。連続していた事故者も、月末までにもう一人死者を出してぴたりと止まった。
「それでその……その、昔狸が化かしたっていう事件の仏さんの人数とぴったり同じになったそうだよ……じいさんばあさんたちはやっぱりそうだ顔が同じだって……騒いでたなぁ」
 Aさんたちはしばらく昼間であっても竹の踏切を渡れなかったそうだ。
「あの……最初に聞こえてたひゅぅぅぅどろどろどろぉって音が、耳から離れなくてねえ。ま、今思ったら馬鹿にしてるみたいな……」
 あの音は一体何だったのか……。あの列車のようなものと中にいた人々、それに三二三六という数字は何だったのか……。あの子ども……大人たちが言うところの狸の口走った「ツジツマアワセ」とはどういう意味なのか……。何もかもがわからないまま、いつのまにか……少なくとも昭和の終わりごろまでには、件の竹林はばっさりと刈られて、竹の踏切の呼び名とともにすっかりなくなってしまったのだという。

 以下は、余寒氏によるこの話に対する覚書といくつかの所感である。

 よく知られる偽汽車の話では、汽車に化けた古狸が轢き殺されて因縁をすっかり現して終わる。けれど、この話においては列車と狸が分離して出ているばかりか、死んでいるのはみな人間であり、正体や因縁が全く明らかになっていないのが不可解である。
 加えて、三二三六という数字。素人が簡単に調べた程度では芥川龍之介のエッセイの中にそれらしい機関車の記述が見出せるばかりで、どういう車両なのかを説明する記述を見つけることはできなかった。
 そして最後にこれだけは言っておきたい。鉄道事故に詳しいわけではないが、偶発的に起きた複数人の轢死事件において、死体の顔がそこまで都合よく人相の比較が容易なほどにことごとく残るものだろうか。(大きく時を隔てた)二つの事件で顔がすべて判別できるほどに残っていたというのも、なんだか僕にはそれ自体不気味なものに思われるのである。

(出典)シン・禍話 怪談手帖二本立てスペシャル
※「禍話リライト」は無料かつ著作権フリーの青空怪談ツイキャス「禍話」より、編集・再構成してお届けしております。
禍話公式ツイッターはこちらから→ 禍話(@magabanashi)

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