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真の豊かさとは何なのか

真の豊かさとは何なのか

最近色々な出費が重なった。
前回入居していた部屋の退去費用、カードの不正出金など

退去費用に関しては前もって準備はしていたものの、管理会社とのやりとりに色々と時間がかかった。

またなぜかカードの不正出金にもあった。

私は半ば強制的に自転車通勤を始めることになった。

極限状態でも「愛」があればなんとかなる?

先日職場で定期的に行われる面談があった。
30分程度であったが、今後の業務への取り組み方、入社してから今までの気持ちの変化、業務に対して何か悩みはないかという、少しリラックスした雰囲気の中で行われたものだった。

社員の方「それにしてもカードの不正出金、大変だったね..」
私「あぁ、事件が起きてからは諦めているつもりだったのですが」
社員の方「うん」
私「実際、本当しんどかったです。」
社員の方・私「あはははは....」

普段どんなに立ち振る舞い、思考に気を遣っていたって、予期せぬ事態は起こる。
それが人生というもの。

残酷なゲーム。

いかに目の前の現象に対し前向きに捉えるか

給料日まであと数週間はある。どうする?
限られた時間の中で最善解を導き出さなければならない。

時間が経てば、朝はやってくるし、お腹も空く。
時間は刻々と過ぎるだけだ。

小さいホワイトボートに思いつく限り実現可能なことをリストアップする。
とにかく書きまくる。

仕事中の些細な時間でも思いついた瞬間を逃さず、命をつなぐための構想を書きなぐる。
書いたメモは忘れないように写真に残し、携帯ですぐに確認できるようにしておく。

私は思う。
(何回目の課題だ?前回うまくいかなかったやり方は除外。
新しいやり方、考え方を踏襲しないとまた時間が経ってから、同じ課題に直面するぞ)と。

神様は何度だって課題を与えてくれる

私はなにかの宗教に属してはいない。
都合のいいときに神様の存在を信じたり信じなかったりする、そんな人間だ。

そして今は都合よく神様の存在を信じている。

神様は今回、極限状態に追い詰められたときの課題を与えてくれた。
今までとは違うやり方でこの状況を突破しなければならない。
病んでいるひまもふてくされているひまもない。
いや実際先週は病んでいた。
人生に本当に嫌気がさしてしまっていた。

そして少しづつだが持ち直しているところでもある。

数ヵ月、数年たったら、また違う形で神様は私に課題を出してくれるだろう。

「お前にこれが解けるか?」

私は何度だって立ち向かう。
後悔のない最期をむかえるために。