2022.2.27 悲劇のヒロインじゃいられないらしい

こんばんは、知世です。


今日はたくさん運動をしたよ。

ご飯を食べて、久しぶりに結構長々とテレビを見ていたんだけど、伊集院静という作家さんがお話ししてました。



いつまでも辛いことを引きずって悲劇のヒロインではいられないからね、みたいなことを言っていて、そうかぁ、それは辛いなぁと思うなどしました。


私はどこか自分のことを不幸だと思っていて、それがデフォだと思っていて、そうであるべきだと思っていて、そうでないといけないとも思っています。


悲劇のヒロインでいたいんだよね、自分自身の尊厳を守るために。

でもそれは本当に幸せじゃないことで、よくないことで、もっとそのエネルギーやパワーを別のところに使えたらいいのにねとも思っています。


これを解消するための方法がわからない。

もう癖のようになっているし、自分が心の底から脱却したいと思っていないから、きっと変えられないんだろうな。


豊かでポジティブな健やかな大人になりたいけど、反面このままでもいいのではという気もしている。


私自身が幸せであることを望んでいないとすれば、それはかなうはずがないんですよね。


満ち足りているなとも思う。

すごく満ちた、甘やかされた生活をしているなとも思う。

それなのに悲劇のヒロインだと思える自分の頭がばかばかしくて悲しいし、どこまでいっても私は成熟した大人になれないんだという気持ちがする。


もっと大人になりたかった。

上っ面だけの存在に年々なっていて、でも人と話すときは偉そうな言葉や振る舞いがぽろぽろと出てきて、とんでもなく恥ずかしいことをしているという自覚があとから湧いてくる。


そのくせ人のことを見下して舐めていて、わかったような気になっているからいけない。


人のことは舐めちゃいけない。

なんで舐めちゃうんだろう。


もっと、もっとちゃんとした人間になりたかったな。

いまさらなれる気もしない。


見てくれだけでもきれいにしたい。

急に、この前いいかもと思って買ったクマの服が馬鹿らしくなってきてしまう自分が悲しい。

可愛いと思って買ったのに。


世間からしたらずれていて、この歳で着るものではないと思われるだろうな。


黒髪で、ロングで、綺麗な格好をして、静かに、ただ静かに、相手をきちんと見つめ、勤勉に、粛々と生きていきたい。


反面、髪はピンクで、クマの服を着て、厚底のブーツを履いて、馬鹿みたいに騒いで、叫んで、これが若さだって主張して、何も考えずに生きていきたい。


どちらもきっと間違っていないし、それぞれの人生何だろうけど、人として成熟している存在を前にすると、途端にそれが正しいことのように思えてしまう。


自分がいいと思った服くらい、いいと思ったまま着てやりたい。


人の評価や言葉に感化されやすいのはいいところでもあり悪いところでもあるな、


私が私を肯定してあげないと誰も優しくなんてしてくれないのに。


もっと賢くなりたい、もっとちゃんとしたい。

でもどうしたらいいかわからない。


こんな大人になりたくなかった。

ポジティブな人間は、これを機に変わろうと勉強したり行動するんだろうな、私は頭でこねくり回して何か考えた気になって、何もしないでこのまま嘆いて生きていくんだろうな。

生きている意味あるか?


結局こういうことを考え始めると、私が今生きている意味とは?という考えになってしまうからいけない。


とりあえず本を買って勉強してみようか。


賢くなりたい。

舐められずに生きたい。


悲劇のヒロインでは、いられないらしいからね。


それでは、また明日。

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