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『生きる歓び』橋本治

現代の普通の人を描いた短編集です。普通の主婦やOLやサラリーマンが主人公なので、一つ一つの物語に何か大きな事件や出来事が起こるわけではありません。だから読む人によっては「つまらない」と思われてしまうのかもしれない..。でもこの本のどの話も、気持ちが温かくなるような、明るくなるような読後感が印象的です。
自分と同じような普通の人が主人公だからこそ、最後の希望のささやかさに現実味があるように感じました。
自分の私生活に精神的な余裕がなくなってくると、私は小説が読みたくなります。他人の物語によって、自分の現実という物語を相対化できるから。相対化して客観的に見られるようになることで、「明日もがんばろう」と思えるから。

橋本治がこういう物語を書く理由は文庫版巻末の「自作解説」で書かれています。

「『一人の人間は必ず一つの物語を持っている』ということだが、この物語は、当然のことながら、ドラマチックな事件性を有するものではない。なんのへんてつもない日常にあるものこそが『物語』なのだということである。」

橋本治『生きる歓び』文庫版解説

「それは、言ってみればとてもつまらないドラマで、華麗さのかけらもない。ただの青年はただの青年だし、ただのOLや主婦はただのOLや主婦でしかない。でも、ドラマというものは、その“ただの”というところを押さえない限り、生まれないんですね。
現代人は、みんな“ただの”が付く自分が好きじゃない。だから、自分をなにか違う特別なものとして演じようとしている。つまりは、生きること自体がミスキャストになっちゃってるんですね。(中略)
役者一人一人の演技力がアップしなかったら、とてもじゃないけど舞台の幕は開けられない。そのために必要なのは、まず自分という役者の持ち味を理解することだと思うんで、こういう一人芝居的な短編を、少なくとも100は書きたいですね。人間の輪郭がはっきりしなかったら、ドラマなんてものは成り立ちませんから。そういう作業を小説の中でやっていきたい。」

橋本治『生きる歓び』文庫版解説

それが断片でもいい。人生の断片は、それ自体が美しい断片であってしかるべきだと、私は思うんですね」

橋本治『生きる歓び』文庫版解説

「『生きる歓び』は、そうした種類の美しい断片である。ここには、『生きることに対する積極的な歓び』というようなものはない。9篇に共通するものは、ある種の『あきらめ』である。あきらめの美しさ、あるいはまた、あきらめの静けさというものが、9作品には共通して見られる。あきらめて生きるのではない。『あきらめることを静かに受け入れて、生きる歓びというものは、その後にゆっくりと現れるものだ』ということが、こうしたタイトルをつける作者のメッセージであるように思われる。」

橋本治『生きる歓び』文庫版解説


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