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研究って?─裁断の儀編

何を読んでも「橋本治じゃない」。
勉強もいいけど橋本治じゃない人の本を読むのは飽きた!
だから本丸『人工島戦記』の分析・精読を同時並行してやることに決めた。
その前にやるべきことがある。

一昨年『人工島』が発売された直後に読んだときは、どうしても外出先でも読みたい(けど電子は買いたくない)と思っていて、その日読む分を写真に撮って読んでいた。ただ読むだけならそれで充分だった。
でも今回は目的が違う。メモをとったり折ったり探したりしながら読むためには、紙の本で、しかも持ち歩くことができるものでなくてはならない。それを実現するために必要なこと──裁断の儀である。
小説で一万円を超えるということに発売前から慄いていたし、実物も値段に見合うしっかりとした豪華な造りを実感した。1300ページを超える大著を何度も開いたり閉じたりしても耐えうる、モノとして細部まで考え尽くされた本。それを裁断する。あまりの背徳感に不安になったので、近い人に「一緒にやらないか」と声をかけたが断られた。これを読んでいる人のなかでも大半は反対するかもしれない。その人曰く、「電子でいい」。私の言う“メモをとったり折ったり探したり”は電子でできるというのだ。話しながら、これは個人的な好みや、慣れなどの感覚の問題だなと思った。私にとっては、これからの研究にはどうしても必要だからやる。なにせ私には、こうやって使い倒す用以外に保存用の『人工島』が三冊ある。こわくない。

でもやっぱり緊張したし、直前まで迷った。作業を始めてからも、モノとしての『人工島』の強さに負けそうになった(心身ともに)。後悔はしてないけど、なんだか本当に「“心が痛む”ってこういうことなのかな」と思っていた。これが無駄にならないくらいにちゃんと読んで研究しよう。改めてそう思えたから、私にはやっぱり儀式だった。

三つにするか四つにするかとかいろいろ考えたけど、第いち部から第ろく部まで、部の始まりはきれいに表紙がついて分かりやすいから、部ごとに分けることにした。むき出しのページはペラペラで、グラシン紙かけてもまだ心もとない。持ち歩くための工夫も考えねば。ノートも新しく買った。集中的に勉強してきたこの2ヶ月、これからは実践と勉強のトライ&エラーだ。

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