見出し画像

冷静と熱中のあいだ

この2ヶ月の勉強の内容は、大きく分けて、
・小説の読み方
・文学研究の方法
・文学理論
・論文の書き方
で、これから日本文学史も少しずつ読んで行く。
それと、大学の教養課程向けの基礎的な“知的技法”とかアカデミック・スキル系の本を読んでいた。読む度に「私が大学に行っていた頃は何をやっていたんだろう?」と思えて仕方がない。ずいぶん遠回りをしている気分。
教職課程で卒業のときには教員免許を取るところまで行けたので、それなりに真面目に大学に通っていたはずだけれど、基礎的なことを順を追って学んだ記憶がない。20年近く経って独学でやり直している。いろいろ経験積んだあとじゃないと勉強が身に沁みないんだ私は。かと言って、もう一度大学に入り直すことを考えると、試験やら単位やら、今さらシンドくて現実味がない。

橋本治の研究をしたくて文学理論をかじってみたけど、理論を使ってどうにかするとか、理論に当て嵌めてとかは無理だな、と思った。勉強として読む文学理論と、実際に読んでいる小説などのテクストがどう繋がるのかがわからないままだ。結局私がやった勉強は、いざ論文を書いた場合に来るであろう反論に対して準備できるようにする敵情視察みたいなもんだった。
ある理論を批判するように新しい理論ができてという流れはわかって、今はポストセオリーが常識なのだそうだ。じゃあどうすれば…と途方に暮れてふりだしに戻った。でも一つの理論とか一つのテクストに閉じることなく、社会やほかの読者に開かれる方向で論文は書かなきゃだめだっていう漠然としていて曖昧だけど重要な指針は勉強したおかげで得られた。

裁断した人工島と、雑誌連載時の原稿(と、書き込み)

久しぶりに読む『人工島』はやっぱり楽しい。熱中しそうになる気持ちを抑えて、勉強したことを頭に置きながらゆっくり読んでいる。「第いち部」を読み終えたあと、雑誌連載時の原稿と突き合わせて異同を確認する。一字一句を突き合わせる、ひたすら地味で膨大な作業。社会人としての私の業務の一部には校正もあるので慣れている。が、読んでいるものが橋本治の文章というだけですごく楽しくて時間を忘れる。雑誌連載と単行本を比較すると、クオテーションのチョンチョンカッコがカギカッコに直されているのが一番多くて、語順が変えられていることはもちろん、章立てが増えていたり一段落まるごと付け加えられていたりと、新鮮な発見がたくさんある。物事の順番をよく間違えてしまうので怒られるかもしれないが、何か目的があってやっている作業ではなく、ただ単にやりたくてやってる。これが何かの大発見に繋がるかどうかはまだわからない。いずれ書く論文の役に立つのかどうかも未知数。
読みながらメモも取る。物語の中で起きていることを整理しながら順に書き出して、人物も登場順に書いていく。こんなに丁寧に小説を読むのは初めてだ。ときどきは、「論文に書く」とか実利的なこと忘れて物語に没頭しちゃうけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?