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人はなぜ絵を求めるのか

「江戸時代は、大衆化の時代である。宗教が貴族や坊主の独占物ではなくなった。だからこそ、仏画や仏像には『名品』と言われるものがなくなる。金をかけて作られたものは、その金の分だけいやしくなる─それが大衆化の時代の常である。ロクなものでもないのに、『自分には金がある』と思って金をかければ、その結果がロクでもないものになるのは目に見えている。しかし、大衆化されたことによって、生きることを確実にさせるような『信仰』とか『敬虔』というものは、より広範にのびやかに続いていた。大津絵の仏画のよさは、それをあらわしている。『芭蕉はきっとこれが好きだっただろうな』と思うのも、そのためである。
生きることに欲がなくて、しかも美しい。大津絵の根本にあるものは、きっとそういうもので、そしてそれは、仏画だけではなく、『鬼の念仏』や『藤娘』や、その他のものにも生きている。『こんなものを、どうして昔の人は買ったんだろう』と、古い大津絵を見ると思う。思うがしかし、『いいじゃん、ほしいかもしれない』とも思う。『なぜ?』と思うのは、その絵に説明を求めるからである─『鬼の念仏とはなにか?この絵の表現するものはなにか?』と。しかし、その答はいらない。大津絵は、ただ絵であって、文字も落款も意味もない。ただ、買って飾っておきたいから買って行く─それでOKなのだということを、のどかな真っ昼間に登場する阿弥陀如来は保証してくれるのだろうと思う。
人はなぜ絵を求めるのか─その答を示すものが大津絵だろうと、私は思うのである。」

橋本治「大衆的なもの」
(『ひらがな日本美術史4』


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