橋本治『ひらがな日本美術史3』は桃山時代が中心です。冒頭引用した文章は、表紙にもなっている長谷川等伯筆「松林図屏風」の章から。
この作品は屏風という形で残っているけれど、もともとは屏風より大きい襖絵または壁貼付絵だったことが紙継ぎ(のズレ)からわかります。
“美術”というと、じっと見たり鑑賞することが“正しい”態度のように思われがちですが、もともと家の調度としてあったものに対する接し方は“見る”ではなく、その作品が作り出す“空間の広がりを感じる”、今で言うVR(仮想空間)のようなものなのです。
当時その作品がどう見られていたかを知るために、どのような空間に置かれていたものだったのかを知る必要がある。だからそれに続く「空間を作るものの変遷」という章があります。
私が面白かったのは、「『美術品』と言われるようなものは、そもそも『誰かの所有物』だったような物」だという話からの、橋本治が美術品を“自分の物”にしたら、という話です。
東大寺の南大門や平等院鳳凰堂が橋本治の物だったら、彼はそこにペンキを塗りたくなるという(美を愛する心とはまったく別のところで)。松林図屏風が家にあったら、コーヒーをぶっかけそうな予感があるという。
金があればセンスがよくなるかと言えば当然そんなはずはなく、審美眼は養わなければ身に付かない。
橋本治が知っていると書いた、日本人が金持ちになった時期は1980年代のバブル。金余りの同時代人(の金の使い方)を見ていた橋本治の念頭にあったのは、遡ること約400年前の元祖バブルであったはずだ。「昔はよかった」というだけではない。何が違うのか、何が日本人を醜く見せているのかを橋本治は考えていた。それが『ひらがな日本美術史3』の締めくくりの一文に表れている。