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“現実体験”の内実は

「いつもの醒井凉子なら、『ふーん』と言って、『不思議の国のアリスのお店』なんてところには入らない。ドキドキしながらドアを押す。ドアを押して、しかし彼女が開けるのはドアの上に小さなベルのついたドアではなくて、自分の胸の中に出現してしまった『ドキドキする』という幻想のドアだ。

『ドキドキする』という胸のドアを開けて、そのドアを開けた瞬間、彼女の胸の中から、『ああ、ドキドキする....!』という思いが一斉にあふれ出る。実際そこになにがあろうとなかろうと、彼女が見るものは、自分の『ドキドキする』という感情で塗り立てられた架空の光景だ。
たとえていうならば、ドキドキする彼女とはピンクのペンキをぶら提げている彼女で、ドキドキしながらドアを開けた彼女は、その瞬間ドアの向こうにピンクのペンキをぶちまける。その結果起こることは、『すごいの、中のすべてがみんなピンクなの、ドキドキしちゃった』という“現実体験”だ。
“主観的に見る”“客観的に見る”という言葉があるのなら、彼女のすることは“主観的に塗る”だ─いやひょっとしたら、醒井凉子は“客観的に塗って主観的に見る”なのかもしれない。」

橋本治『雨の温州蜜柑姫』


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