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やるか見るかのどちらかしかない、それが愛だ

「この世の中に、愛ほどエゴイスティックなものはない。この世の中で、愛ほど理性から遠いものはない。愛ほど残酷で、いきなりで、躊躇なしで、すかさずの当事者性を要求するものはない。
愛とは、シランのようにケツ丸出しで平然としていられることだ。
愛とは、カンノのように、一切の抵抗力を捨てて、ただ惚れ惚れとそれを見ていられることだ。
愛とは、カイチョーのようにすぐその気になってしまうことだ。
愛には、“やる”か“見る”かの、どちらかの立場しかない。
始めっからそこに当事者の立場としていて、当然のごとく『躊躇い』というものを持たずに“やる”か、『やりたい!』と公然と思うか、そうじゃなかったら、それを愛情をこめて“見る”か、そのどちらかしかない。
愛とは、参加するものだ。愛においては、見ることでさえ、『当事者として参加すること』だ。そこには、『だったら、冷やかしに行ってやろう』というような、判断を保留したままの“参加”というものはない
やらないのだったら“見る”。見るんだったら、惚れて、一体感を燃やして“見る”。やっているやつを、ただただほめ称えて“見る”──そういう立場しかない。」

橋本治『人工島戦記』p.732


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