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リア家の人々、お前もか……

文庫になって復刊された『対談集 六人の橋本治』(単行本時タイトルは『TALK 橋本治対談集』)には、最後に文庫版増補として宮沢章夫氏との対談「『リア家』の一時代」が入っている。だから6+1で実際には“七人の橋本治”なのだけど、そうはならなかったらしい。タイトルは変えたのに。なんで今これが復刊されたのか若干疑問に思いながらも刊行記念で読了。出版社の壁を無視して復刊するのなら私は『ひらがな日本美術史』を写真減らしてもいいから縮尺版で出してほしいと常々思っている(マルメロ方式)。マルメロ方式と言っても『マルメロ』はその成り立ちからして絵があっての本だから、絵をなくして文章だけにするのは違うんだよなーという気はちょっと、ある…。その点『ひらがな』で扱われているものは今やネットで調べれば写真は見られるはず。復刊してほしい本はもっともっとあるけど、幅広く需要があって異常に高騰しているのは『ひらがな』です。異常に高騰でおなじみなのは『男の編み物 手トリ足トリ』だけど、実際復刊されたらどれくらい売れるかと言ったら、ねぇ。

先の宮沢章夫氏との対談で、宮沢氏は全共闘へ全共闘へと話を持って行きたがるけどスルリスルリとかわしていく橋本治が面白かった。『リア家の人々』を読もうかと家を探したら文庫が一冊しかなかったので(保存用に)買い足したかったが、すでに絶版である。『リア家』は比較的新しい小説だからまだまだ絶版になんかならないと思いこんでいた。あのブックオフですら単行本・文庫本いずれも在庫がない。新品や正常な値段で買えるのは『上司は思いつきでものを言う』とかのビジネス書ばかりか…。
橋本治本の流通事情はここ数年で随分荒廃してしまった。私が本格的に収集を始めたのが橋本治が亡くなってからで、その当時はまだここまでではなかった。『窯変』だって一部は新刊書店で買えたのに。私みたいな人が「保存用」とか言って買い占めてしまうからだろうか。だとしたらごめんだけど、でも私は転売をするために買っているわけではないし経済力の限界もあるから、言ってもそんなに何冊もあるわけじゃない。でも橋本治のだいたいの本は単行本と文庫が両方あるとかいうコレクションは個人としては異常の領域だろうと思う。なんでそんなことするかって言ったら橋本治は単行本が文庫になるときに文章が追加されたり自作解説が付いたりして、それを読みたいときに読めるようにするには家に揃えておくのが一番だから。そうなると冊数ばかり増えて今度は目当ての本が家で探せなくなって図書館から借りたほうが早いということにもなるのだけど、市の図書館ですら万能じゃない。例えば『デビッド100コラム』と『ロバート本』という双子のような本はうちの市立図書館ではなぜか『デビッド100コラム』しかないとか。『ぼくたちの近代史』や『リア家』は単行本しかないとか。『近代史』は文庫であとがきが追加されている。『リア家』は文庫解説はないので支障はないっちゃない、でも今回は文庫で読みたい。

集めた本が貴重だと思うほど「これを文化財として残すには…」と考えたこともあったけど、結局は自分で買った本は自分で使うためだなというところに落ち着いた。『人工島戦記』は刊行されたことが嬉しすぎて勢いで4冊買って、一冊はバラバラにして今でも使い倒している。『人工島』はまだ新品が買えますよ。

橋本治『親子の世紀末人生相談』も読了。
最後の人生相談が“人生相談回答者の相談”っていうところが絶妙なバランス感覚だなと思う。橋本治の相談に橋本治が答える、実質あとがきのようなものではあるが、これが単なるモノローグのあとがきだったら、人生相談の”百科事典“をブッタ斬ってきた橋本治だけが神のように浮き上がっていただろう。粋でカッコいい。人生相談回答者の相談の語り口は『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』を連想させるほど似ている。そういえば『ふしぎとぼくら』も終盤に語り手が自分や自分の人生を語る部分があった。それがあるからこそ小説全体のリアリティが際立つのだろう。

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