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日本の美意識は「静止しない」こと

「桂離宮が語る『日本の美意識』とはなにか?それは、『静止しない』ということである。
たとえば、絵巻物である。巻かれてあるものを広げながら見る。《伴大納言絵巻》のあの長大な画面を一目で見渡すことは出来ない。ちょっとずつ広げながら見て行く。ここで《伴大納言絵巻》は、静止しないのである。
たとえば、扇の絵である。屏風に貼り付けられた扇面は静止している。しかし、その絵は、もともと扇の上に描かれたものである。扇は開閉する。開きかけた扇は、『中途半端な画面』である。しかし、扇に絵を描く人間はそのことをよく承知している─だからこそ、デザイン性が必要とされる。開かれた扇は、手の中でヒラヒラと揺れる─それも、扇絵の作者の承知するところである。
たとえば、屏風である。立てられた屏風は、『折れ曲がった画面』を見るものである。立体性を持って歪んだままの画面を鑑賞されるのが、屏風絵の作者である。彼等は、それを『いやだ』と言っただろうか?日本の美は、おとなしくしていないのである。だから襖絵は、『開閉』という動きを前提とする。
連歌とか俳諧という日本文学は、次々と付け加えられて行く、その“流れ”を楽しむものである。日本の美意識には『静止しない』が前提としてある。桂離宮も同じなのである。
建物のくせに、桂離宮は静止していない。見る位置を変えられたら、その瞬間に表情を変える。屋根の形も柱の具合も、室内の様子も、屋根裏も、軒下も、床下も。桂離宮は、ありとあらゆるところに創意が隠されている─それが平気で現れる。」

橋本治「人間のあり方を考えさせるもの」
(『ひらがな日本美術史4』)


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