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橋本治「度を過ぎた量はこわい」

素人が写真を撮ることは、撮る側が被写体を我が物にしたいという欲望丸出しの行為だ、と橋本治はエッセイに書いている。
みんながスマホを持つようになって、写真を撮るようになって、それをSNSに上げて。それらは全部、撮る側の欲望の表れ。

「中高年のオッサンじゃなくて、オバサンならいいのか、若い女ならいいのかという、カメラを構えている側の見てくれの問題ではなくて、『写真を撮る』という行為が『被写体となるものを我が物とする』というような欲望丸出しの行為だから、やなの。『そんなもん、見せなくたっていいじゃないか』と、ニュースを流す方に対して思う。多分、それが『欲望を丸出しにする行為』だと思われていないからそういうことになるんだろうけれど、プロのカメラマンなら、写真を撮る時『自分の気配を消そう』と思うんじゃないだろうか。カメラを構える自分と、被写体となる対象とどっちが大切かと言えば、当然『自分より対象』のはずだから、そう考えるカメラマンの気配は、自然と『消える』の方向に行くんじゃなかろうか。」
「大量の人間が集まっていて、欲望が丸出しで、でもそれがなんの『物語』も持たずにそれっきりというのは、不気味でこわい。『人が行列している』と聞くと、もうそれだけで近寄りたくない。」

橋本治「度を過ぎた量はこわい」
(ベスト・エッセイ2018)


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