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他人の作品を解釈するモノサシ

「たとえば、『すごく面白い小説を何冊も立て続けに書いた作家』がいて、その作品以外に『作者はいかなる人物か』を知る情報がないとする。そういう場合、『作者はいかなる人物か?』という詮索だって、当然起こるだろう。そのために必要な行為は、『その作品をよく読む』である。ただ面白がって読んでいたところから一歩を進めて、その作品の中に遺されている『作者の痕跡』を読み取ることだろう。その場合、私は『どういう人間がこういうものを面白いと思うのだろう?』と考える。考えて、『自分はこの作品のどこをどのように面白いと思って、“こういうもの”という規定をするのだろうか?』と思う。『その作品のどこをどのように面白いと思うか』が、私にとっての『他人の作品を解釈するためのモノサシ』である。私がそういうモノサシを持つのは、『自分の中にある、その作品を通して共鳴してしまったものの正体』を知りたいと思うからである。私は、その正体が知れれば、他人なる作者が『正体不明の人物』であってもかまわない。かえって逆に、相手の正体が不明のままの方が、こちらの想像力が自由に発揮出来たりもする。私はそういう人間なので、私には『戸籍調べの趣味』がほとんどないのである。」

橋本治「『似ている』が問題になるもの」
『ひらがな日本美術史5』


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