情緒がない

周りにいるなんか良い感じの人たちは、大体喫茶店が好きで、そういう空気感やまったりした時間が好きとかいう。
私も雑誌でレトロな喫茶店の写真を見たり、古い邦画のワンシーンにそういった店が登場すると「良いな・・」と思う。
でも実際、自分が客として訪れた時に感じる「良いな・・」は、一瞬の気持ちなのでそれ以上どうしたら良いかわからない。「良いな・・」を感じ終わりましたとまったく情緒のないことを思ってしまう。
気づくとめちゃくちゃはやくトーストと紅茶を飲んで、まあ今更読書もしないっしょみたいな感じで退店している。
あと色気のある、モテる感じの人はよく「無言の時間も苦にならない人が好き」みたいなことを言うが、理解できない。私は自分がかなり眠いとき以外は全部喋ってて欲しいなと思っている。

観光地なんかも同じで、とくにアトラクションがない公園や神社、とにかく自然を見ろみたいな場所の場合、大体何をしたらいいのかわからない。
まあ長い時間をかけてわざわざ旅行に来たのだし、すぐに去っては勿体ないな・・この場にあるすべての物を見るか〜と考えて、足元の草とかを「何の花だろう」と凝視してみたりするけど実際1ミリも興味なくて、頭の中は自分だけのものなのにその思考の中でめちゃくちゃ無理してる状況ってなんだよとツッコんでやめる。ガイドブックで観る、滞在時間だいたい1時間という目安とその横に写ってるまったりベンチに腰掛けて微笑んでる人みたいに自然を正しく楽しみたいけど、どうしたらいいのかまるでわからない。

それはそうとして、小学生の頃は、香り付き消しゴムをよく食べていた。
周りは私がバカだから消しゴムを食べ物と勘違いして食べてると思っているようだったが、私は存在がイラつくから食べていた。
当時は香り付きの消しゴムやねりけしが流行っていて、フルーツ系のベタなやつからカレーとか麻婆豆腐みたいな変わり種のものもあった。
どれも本物に近い良い香りで、でもどうすることも出来ず、ただ匂いという実態のないものを嗅ぎ続けるという行為はひたすらイライラする。
咀嚼すると結局ただのゴムでしかないが、良い匂いのくせに食べられずに嗅ぐだけという意味不明な状況を解消してやったというスッキリ感があるのがよかった。どこに類似性があるか説明しろと言われたらできないけど、このエピソードは、自分の中で観光地や喫茶店を秒速で楽しみ終わる感覚とかなり似ているので突然書いてしまった。

この前、友達と銭湯に行った時、1つの風呂に長く浸からず、せわしなく色んな湯を出たり入ったりしていたら落ち着けよと言われたので「銭湯に長く入ってると、浸かってるだけじゃねえかという気持ちになる」と話したら、お前は終わっていると言われた。
私は銭湯をリラクゼーションではなく、アミューズメントパークと捉えている。だから露天風呂や寝風呂、日替わり湯など、とにかく色んな種類の湯がある店に行き、片っ端から全部浸かって、心の中ではしゃぐという楽しみ方しかできない。だから帰り道は大体疲れているが、疲れれば疲れるほど充実した良い銭湯だったなと思っている。

ここまで勢いで書いて、全然関係ないけど、やっぱり一番好きなのは自転車だなと思う。当たり前だけど自転車は自分の動きと連動した速度で進むから無理やり何かのペースに合わせるということもないし、静止した時間もない。それが超気持ち良すぎて、毎日意味もなく走り回ってしまう。
どうでも良いけど、この文章読み返すと、なんか私ってボクシングに向いてる気がしませんか?


1円でもいいから