心のなかみ

昔は読書したり、映画をみることで自分以外の心のなかをのぞいていた。

今は手軽にブログやこのnoteを使って思っていることを世界にむけて発信できる。
だから人の心のなかを簡単にのぞいたり、知ることができる。

もちろんそういうのは「発表している心のなかみ」だから、「実際の心のなかみ」はもっと複雑に違いない。

実際私も発表したくない心のなかみもある。
でもこうやってかいているのだから発表したい心のなかみもあるんだろう。それは多くの人も同じなんだとおもう。


でも心のなかみを知ることで、その人をもっとしりたい!という気持ちは薄れていく。

ああ、やっぱりこの人正直ないいひとだな、とか優しいとこがあるんだな、とか思うこともあるし、この人計算高いんだな、私と話ししてるときも機嫌とってるだけだったんだな、私観察されてるのかな、と気がつくこともある。

そしてなんだかその人について、よくても悪くても、お腹いっぱいな気持ちになる。

有名な作家がたまに日常をかいたエッセイをだしたり、ときおり私的な気持ちをだしたりするけど、たぶん「たまに」が魅力なんだろう。あるいは毎日よんでもいいのは、私生活のことではなくて意見や主張や詩や空想なのかもしれない。


一緒に住んでいる家族みたいに心のなかみをしりすぎると、緊張感がなくなってしまうのかもしれない。

謎めいたところや、奥深さが時折感じられる人間関係が人生を豊かにするようにも思う。


特に匿名でないのに自分の恋愛経験や性的なこと、配偶者を含めた人間関係をおおっぴらにする人は、いい人なんだろうけど、人としての成熟さにかけるように感じるのだ。

あるいは商売人が、売れるから、楽だから、儲かるからこうしようというのがわかるとがっかりすることもある。


お客さんの幸せのためのお店ではないのかー、結局金か...ま、世の中そうなんでしょうけど。私は経営者でないから、そんなこととは気がつかなかった。楽しい気持ちの客よりも、お金をおとしてくれる客が大事としると、お店でうかれている私はなんなのかと...

売れると自分が嬉しいからこんな本かいた、あんな音楽作った、も手に取る前から興ざめしてしまう。
やっぱり金ではなくて、ただただ読んでほしいからー、がないと私は素直になれないのかな。


じゃ、見なきゃいいのでは?
確かに、全く興味がなくなると見なくなるとおもう。でもそれは時遅しで残念。

逆に、よいタイミングでブログなど自分に入ってくると、もっともっと知りたくなる。
計算高くない、奥深さが感じられるひとがきっと私、好きなんだな。

ほんとはコラムやエッセイを読むのは大好きなのです。という私の私見。いかがでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?