【自粛日記7日目】第1のターニングポイント
今日から数日間は私自身のことについて、書きたいと思います。
今日のテーマは私の第1のターニングポイント、私の考え方や行動が変わったきっかけについてです。
そのターニングポイントは、「マレーシア」です。
私は、父の仕事の関係で、小5から中2の時、2年と半年、家族みんなでマレーシアに住んでいました。
ただ、私のターニングポイントはこの時の体験ではありません。
ターニングポイント、私が変われたきっかけは、
中2の秋にマレーシアから日本に帰国し、地元の中学校に通い始めた時でした。
外国から転校してくると、少しばかり目立っていて、周りの友達は興味をもって、たくさん質問してくれたんです。
マレーシアってどんな言葉喋るの?話してみてよ
どんな食べ物があるの?おいしいの?
どんな文化?どんな人たちがいるの?
どんな観光地があるの?どんなとこ行った?
現地の友達はいる?
私は、そんな質問に、1つも答えられませんでした。
なぜなら、マレーシアに住んでいたけれど、何も経験せず、何も得ることなく、日本に帰ってきたからです。
本当に、ただただ、住んでいただけだったからです。
正直言って、マレーシアでの生活のことはあまり覚えてなくて、
通っていたのは日本人学校で授業は全部日本語、住んでいたのは日本人や外国人向けのコンドミニアム。
家でももちろん日本語だし、ご飯は全部お母さんがつくってくれてた。
外食に行っても、日本食のお店か、日本でも食べれるような韓国料理か中華料理。
日本人向けに、文化体験や交流、英会話、観光の機会があったにもかかわらず、日本人の友達とばかり遊んでた。
私は、マレーシアで、何も経験しなかったのです。
多分、何をするにも度胸が足りなくて、好奇心よりも、緊張やちょっとした怖さが前に出てきてしまっていたからだと思います。
反対に、「マレーシアに住んでいる」という事だけで満足していたのかもしれません。
そして、日本に帰ってきて、興味をもってたくさん聞いてくれる友達に対して、ちょっとした体験や感情を言葉にできなくて、伝えることができない。
マレーシアに住んでいた、という事を胸を張って言う事さえできない。
その程度の経験しか得られなかった、貴重な2年半を無駄にしたこと、そして「マレーシアに住んでいた」というアイデンティティさえも表現できないことに、日本に帰ってきてから、ようやく気づいたのです。
当時、中学2年生だった私にとって、今までにないとても大きな後悔となりました。
あの時、勇気を振り絞って、ああしていれば。
過ぎていったはずの過去を、やり直しなんてきかないのに、何度も何度も考えて想像して、
自分ではどうすることもできない焦燥感や虚無感を感じたのです。
この大きな後悔、「やらなかった後悔」が、私の第1のターニングポイントであり、今の原動力の一つです。
それからの私は、何かチャンスが巡ってきたときに、やらなかった場合、を考えるようになりました。
このチャンスは2度とないかもしれない。
別の誰かにこのチャンスを奪われてしまうかもしれない。
やらなかったら、後悔するだろう。
そんなことを考えて、だんだんと、臆病な自分を抑えて、いろんなことに挑戦するようになりました。
今では、何でも挑戦したいと思えるようになったし、その挑戦の先には、素敵な経験や出会いがあることも知りました。
マレーシアは私にとって、すごく特別で大事な場所であり、
そこで過ごした2年半があったから、私は大切なことに気づくことができました。
大学1年生の時、私は自分のお金で、自分の足で、もう一度マレーシアを訪れました。
それは、単に一度行ったことあるから、というだけではなく、あの時の後悔を、もう一度マレーシアという地でやり直したいと思ったからです。
最後はその時の素敵な出会いの写真を添えます。
参加したボランティアで出会った仲間たち
マレーシアと言えば
ペトロナス・ツインタワー
中学生のころ、毎日のように飲んでいたchatime
私を変えてくれたマレーシアへ感謝を込めて。
Terima kasih !
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