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眠れる紅狼と眠れぬ蒼狼 #8

夢の世界に来てから1ヶ月が過ぎた。

散葉は変わらずこの夢から覚める予兆も無いし、咲夜は眠ろうともしない。
それでも、ようやく眠る前の恐怖を頭の隅へ追いやる事が出来た気がする。
川で遊んだり、少し離れた大きな街へ買い物に行ったりして、久しぶりに心から楽しいと思えた。

買出しから帰って来た頃にはもう日は傾き始め、西空を茜色に染めていく。
今は台所で鍋を火にかけている白青の背中を、机に突っ伏して見ていた。
――以前私が「だいたいこんなもんでしょ」と味付けしていたら、「大雑把すぎるよ!!」と怒られて以降、台所に立たせてくれなくなってしまった。
そんなことをぼんやり思い出していると、入口の扉が激しく叩かれた。

「おーい!誰かいるかー?」
聞き覚えのある声に立ち上がり、散葉は扉を開けた。

「おっ、良かった生きてたか。」
「あんたも無事だったんだな、萌吹ちゃん」
「その呼び方やめろ!ぶっ殺すぞ!?」
赤黒の毛並の獣人――犬伏萌吹がそこに立っていた。

「チッ、せっかく心配して様子見に来てやったってのによ……」
「…そうだ!!向こうは、現実は今どうなってる!?環境課は!?」
「うわッ、急にでかい声出すなよ。まあ、とりあえず――」

後ろを振り向くと、咲夜は机の陰に隠れながらこちらを見ていた。
少し尻尾が丸まっている。

「……外で話そう。」

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「あの暴動で環境課も被害にあったのは知ってる。お前がその時から眠ってるってんなら――まあ、そこまで詮索はしないがよっぽどのことがあったんだろうな。」

さすがに部外者に全てを話す訳にもいかないので、その配慮はありがたい。
「まず、環境課って組織は存続してる。どこかの組織に編入されたって話も聞かないな。庁舎も結構な壊れ様だったけど、あれから2ヵ月、動き始めると速くてどんどん修復されてるよ。さすがはお役所。」
「そっか……で、課員のみんなは無事なのか?」
「さすがにそこまでは分からねぇよ。ただでさえあんな事件の後なんだ、外部のやつがそんなこと聞いて回ったら警戒されるだろうしな。」
「それもそうか……」

――それでも確認してもらわなければならないことがある。

「一つだけ、聞いてきてほしいことがあるんだけど。」
「……なんだよ。」

「私が、今生きているかどうか。」
萌吹の顔に疑問の表情が浮かぶ。
「何言ってんだ、お前はここにいてこうして話してるだろ。」
「私の身体が本当にまだ生きているのか、わからないんだよ……」

環境課が存続しているということは、あの後ド取は撤退したのだ。
恐らくはクサカベの捕獲に成功したことによるものだろう。
だが、撤退するまでの間にどこまで侵攻されたかが分からない。
それは私を含む大多数を殺害した後かもしれない。

その回答次第では帰る場所への希望が失われることになる。
いや、いっそその方が踏ん切りがつくか。

「…つまり、肉体は死んだけど精神?心?的なものだけはこの世界に存在している、って可能性があると思ってるわけだ。そんな事があり得るのかは分からねぇけど……」
「とりあえず私の個人情報をある程度教えるよ。それを入口で伝えれば知り合いってことでそこまで警戒されないだろうし。」
「――分かった、聞いてきてやるよ。だがそこそこ動けるお前が死に掛ける何かに襲われるとか、どう考えてもただのお役所じゃないだろ環境課。」
「まあ…うん……」

それはそう。


「さて、と。起きるのは明日の朝ぐらいだ。どっかで時間潰して起きた後、環境課行ってからまたこっちに来る。」
「ああ、頼む。」
話を終え萌吹が背を向けた時、
「あ、あの!!」
家からした声に振り向く。
「良かったら、夜ごはん……食べていきませんか?」

尻尾はもう、丸まってはいなかった。

散葉と萌吹は顔を合わせ――少し笑った。

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食事を終えた後、萌吹は結局なし崩し的に泊まることになった。
「いやー久々に食ったけど、やっぱあいつのの作る飯は美味いな。」
「久々……?」
「あ?前にも言っただろ、前は俺があいつとこの世界で暮らしてたって。」
「――あっ!!」

そうだ。萌吹の時と同じなら、咲夜の記憶から私が消えてしまうまで残った時間は――
「まさか忘れてたのか?お前と最初に会った日から考えると後――こっちの日数で1ヶ月ぐらいで1年か。」
「あぁ……その解決方法も探さないと……」
「まぁ、日数じゃなく別の条件かもしれねぇし、気を張らずにのんびり――」
「ダメだ!!」
突然の声に萌吹の耳が跳ねる。
「ダメなんだよ……これ以上、帰る場所が無くなるのは……」
惨敗を喫し、守りたい場所を守る力が無いことを理解してしまった。
その場所を未だに帰るべき寝床と思えてしまっているのは、傲慢でしかないとも感じている。
そんな状態でもう一つの拠り所までなくなるとしたら……

「……わかった、わかったって。そこまで思いつめた顔をすんなよ。俺もいろいろ調べてやるから。」
「悪い。……ありがとう。」

頭を振って涙を拭い、横になって、

紅狼散葉は眠った。

眠れる紅狼と眠れぬ蒼狼 #8 「帰るべき場所は何処」

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