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「シンダラアカン教」


【ショートストーリー 始まります】

おおよそ、人は生まれたら死ぬ。

いや、おおよそではない、絶対だ。
これは誰にも覆せない。

そう決まっているのに、覆したい人たちは不老不死を願う。それゆえに、いろんなカタチの不幸な話が歴史のところどころに出てくる。

生まれたら死ぬ。それは二つでワンセット。

とても自然なことで、普通のこと。

でも最近はどうやら違うみたい。

「シンダラアカン教」っていうのがいつの間にやら流行っているようだ。

そこらへんのところ、ちょっとまじめに超簡単に書いてみよう。

【このお話はフィクションです】

完結するまでの長い長いお話の始まり。

まずはじめ「死んだら終わり」とぼんやり思わせる。

「健康のために(=死なないために)○○しましょう」といろんなものを勧める。
食べるもの、運動、生活習慣、etc
初めは身近なところから、マイルドにマイルドに。


次に「健康を維持する必要」をやたらに唱える。

症状がないのに「健診」と称して病院に行かせる、保険に入るためには医師の診断が必要ですと検診を受けさせる。
その結果、見つけたモノに効く薬が与えられる。

死なないために「壺」を買いましょうって言わないだけマシ?
でも、壺は身体の中に入らないけど、薬は入っちゃうからね。その影響、自分じゃ調べない。

なんで安心?
「だって、先生が出してくれたから」

そうなんだ?私は疑問に思うけどな。

どうやったら、数回しか会ったことのない、友人でも親族でもない医師のこと、そこまで全力で信用できるんだろう?
医療関係者だから間違ったことはしない?

でも、病院だって営利企業。
儲けが出ないことには人も雇えないし、最終的には潰れてしまう。

そんな風に思う私は多分相当ひねくれてるよね。うん。自分でもわかってる。わかってるから、続きも書くね😁


検診や健診の後は「ほら、早く見つけて良かったね」と言われ
「このお薬飲みましょう、定期的に観察しましょう」
となる。

さらにその後ろには「治療中の費用も安心」なんて風に持って行く保険業界も見え隠れしてる。


こんな風に、一旦見つけられてしまったモノは、一生お友達になって「飲み続けるお薬」と「定期検査」というサイクル監視をされるところまでがセット販売されている。

そして、そこに絡む「費用負担をお助けする保険」なるものも加わって完成形になるのだ。


こんな一連の流れが出来て、CMやら口コミやらでたくさんの人たちを信じ込ませる。ここでメディアの登場となる。

もしかしたら、かっこいい俳優さんの演じていた「世紀のヒーロー」バリの、誠意ある医師が活躍するドラマもその一旦を担っていたのかもしれない。

「医師は聖人君子」だという刷り込み。

「先生は誠実で、信じていれば治してもらえる」


みんなの中に「そんな思い込み」が作られてしまったのも、仕方がないと言えば仕方がないことかも?
テレビの影響は大きいよ、やっぱり。

斯くして、病気は
「自分で、飲食物や生活を見直して改善するもの」じゃなく
「病院に行って、お医者さんに治してもらうもの」という大前提が出来上がる。

早く見つけて早く治す。
早く見つけて、ずっと薬を出し続けられる。

どちらにしても決まり文句は

「早く見つかって良かったね」


ここまでが前提。


【あくまでもフィクションです】

ここまでの前提が整ったところで、徐々に
「死んだらあかん」「死なせたらあかん」を始めていく。

「生きてるうちが花」「死んだら終わり」

そうやって「死ぬこと」は良くないこと、悪いことだと思い込ませる。


最初に書いた通り、ヒトとして生まれたらいつかは死ぬ。これは決まり。ヒトだけでなく生物一般にそういう決まり。

こう書くと「死ねばいいと思ってるのか」などと曲解する人がいるかもしれないけど、そんな極端なことを言ってるわけではない。

もちろん誰に対しても出来るだけ長く生きていて欲しいと思う、それは私に関わりのある人にも無い人にも同じ思い。

何故なら、それが誰でもあっても、誰かの大切な人に変わりはないから。


話を戻そう。

世の中に「死んだら終わり」「死ぬ事は悪いこと」がひと通り行き渡った頃に、今回のような「死ぬか死なんか微妙」な感じの病気を流行らせる。

すると・・・ここで!
「何が何でも死んだらあかん」が発動する。

「シンダラアカン教」の始まりである。

「自分は軽症やけど、お年寄りにうつしたらあかん」とか
「症状ないけど、うつした人が死んだらどうする!」とか

そんな風に思い込んだ人たちのとる行動。


「自分は責任取れないから」
「誰かが死んだのを自分のせいだって思いたくないから」
「お医者さんの言うことは『絶対大丈夫』だから」
「テレビが、新聞がこう言ってたから」

だから・・・

効果も中身も理解してないけど「先生がおっしゃるから」って簡単に身体にお薬と言われるものを入れちゃたり。
効果より害の方が大きいと思しき紙っきれや布っきれを口の周りにくっつける、○○○警察なんて言葉が生まれたり。
子どもたちに「学校行くな、人と話すな、声を出すな」なんてバカみたいなことをいう高齢者が出てきたり。
挙句の果てに「マスクしてない人」を殴るなんて人まで現れたり。

根底には「死ぬのが怖い」がある。
「死んだら終わり」と思っているから怖い。

だから、テレビに出てる、会ったこともない何処かの医学博士の言う事をまるっと信じる。

あるいは主治医に言われて、素直に従う。

そこに本人の意思はあるのか、ないのか・・・

「シンダラアカン教」

とてつもなく長い長い時間をかけて
こうやって発動するために仕込まれてきたんだ。

でもそれも、みんな「刷り込まれて」いるんだよね。

後ろで「刷り込んで」喜んでいる人たちがいるなんて、考えたこともないような普通の人たち。

「シンダラアカン教」って結局はどうなるんだろう。
刷り込まれて、信じ込まされて、同じ方向に歩いて行って・・

「ハーメルンの笛吹き男」を思い出して、ちょっと怖くなったりもする。


どうしたらこの「シンダラアカン教」から脱会できるかな。

みんなで考えたら答えが出るかな。。。

みんなが「考えなくなったら」答えが出るかな。。。

刷り込みって恐ろしい・・・

でもとてつもなく効果的。


私なら…どうする?

どう死ぬか?じゃなく、どう生きるかを考えたい。

【このお話はフィクションです】





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