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行間にあるもの


テレビやSNSを見ていて思うことがある

それは文字通り「文字通りに受け取る人が多い」ということ


文字通りだからいいじゃないかって
思うかも知れないんだけれども

それってね
文字や行間の意味を考える力が弱ってる証でも
あったりするんじゃないかと思うんだなぁ


書かれた文字の通りに解釈して
素直でいいねって言われていいのは
小学生の間だけじゃないのかなってそんな風に思う

学校の勉強が良いなんて全く思わない
思わないけれども

国語の授業に
「それら」が示すものは何?だとか
「この文章から主人公の氣持ちを考えて」なんていう問題があって
それは行間や文章の持ってる空氣感を読む力が必要だってこと

時間が経って
世の中も徐々に変わっていて
そういうのも忘れちゃったんだろうか


冗談が通じにくい世の中だったり
ちょっと辛辣に言い返したつもりが丁寧にお礼を言われたり

言葉の持つ意味が
本当に「文字のまんま」になっちゃったら
コミュニケーションが味氣なくなっちゃいそうだ

ダブルミーニングならまだ「文字の通り」なんだけれど

言葉のどこかで面白おかしく引っ掛けて冗談を言ったり
比喩してみたり擬人化で譬え話にしてみたり
昔話に例えた逸話を交えたり

そんなのもみんなみんな
通じにくい世の中になっちゃいそうだ

殊更に嫌味を言い続ける必要はないけれど

なかなか話が通じない人には
ひと言ふた言
それとはわからないようにしながらも
鬱憤を晴らすことだって可能なんだよね

そんなことをしていたら
性格が悪いって言われそうだけど



文字と文字や
行の隙間にある

書き手や言い手の心の中から
ちょこっとはみ出たニュアンスやエッセンスみたいなもの

そんなのを読み取れる感性は
無くしてしまったらダメな氣がして

文字の通りだからって文字通り受け取るだけでは
あかんのとちゃうかなぁって


ちょっと強い風が吹いて
ベランダの寄せ植えたちが震えているのを見ていたら

そんなことを書きたくなりました


アルミサッシの窓はきっちりと密閉されているけれど

学生時代のこんな風の強い日の隙間風は

とっても冷たかった思い出と共に




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